長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2009年8月28日金曜日

たくましき想像力

ビックリマンチョコってありますよね。昔、ビックリマンシールが流行りましたが、私が子供の時はその一世代前のシリーズで、その名も「まじゃりんこシール」。どんなものかというと、動物と食べ物などのワードをかけ合わした新しい生き物のシールで、例えば、ピラニアとアイスで「ピラニアイス」。遠山の金さんとキリンで「遠山のキリンさん」。ブラックホールとホルスタインで「ブラックホールスタイン」。語尾と語頭が重複しているものなら何でもいいので、一般公募もしていました。私も応募投稿しましたよ。パンダとだんごで「パンだんご」…採用されませんでしたが。
さて、前置きが長くなりましたが本題は「まじゃりんこシール」じゃないんです。「ビックリマンチョコ」そのもののほうが今日の本題です。私が入院する前の話を兄から聞いたのですが、その当時は売店の品揃えも限りがあったり、今のようにネット販売とかもあるわけじゃないですし、月二回ぐらい、町のお店に好きなモノが注文できる、通称「町の買い物」と言われる、病院と業者との間で交わされていたシステムがありました。文房具からCD、お菓子に至るまで、たしか長崎屋と取引していたのでそこで扱っている商品であれば、町の買い物の限度額(2000円くらいかな)を超えない限りはOKなのでした。
で、ある時うちの兄が注文用紙に書いてたら、たまたま病棟職員の目に止まったんでしょうか、見るなり、

「コラッ!!、なんてこと書いてんの!! 早く消しなさい!!」

怒られたんだそうです。書いたものは、「ビックリマンチョコ」でした…。きっとその人は文字の区切りを間違えたのでしょう。「ビックリマン、チョコ」でなく、ビックリ、で区切ったのでしょうね。それにしても、ビックリなんとかなんて、逆に何を想像したのか聞きたいですよね。よっぽどそっちのほうがイヤラシイですよ。ちなみに私はオロナミンCを飲んでて、「子供が変なモノ飲んだらダメ!!」としかられたことがあります。赤マムシドリンクと間違えたのでしょうか… 小さな巨人と一発ホームランとを連想したんでしょうか。…今日は下ネタがすぎたようです。

2009年8月22日土曜日

モンキー・マジック

後々不謹慎だと言われても今日はこれを書きます。昔、わたしがとなりの病棟にいたとき、黄色い声のきかん坊とポッチャリの泣き虫君がいまして、この二人は事あるごとにケンカする典型的な犬猿の仲でした。基本的にはいつも一緒なんですけどね。中尾彬と江守徹みたいなものですかね。ケンカがステータスなんて陰気なこの世の中には何ともうらやましいことですね。
まあ前置きはこれくらいにしといて、話ですがある時二人はいつものようにくだらないことから口論になり、互いにののしる言葉がなくなってしまって完全に小学生のケンカになってしまいました。バカ、アホから始まり、互いのコンプレックスを攻撃し始めました。
「デブ」「猿」「デブ」「猿」「デブ」「猿」「デブ」「猿」「デブ」「猿」…………………
永遠に続くかと思った口げんかでしたが意外な形で幕を閉じます。

「デブ」「猿」「デブ」「猿」… 「デブ」「デブ」「デブ」「デブ」「デブ」「デブ」………?!

「猿」がいつのまにか飛んでしまい、自分で自分を「デブ」という不始末をおかしてしまいました。自分が投げたブーメランに自ら当たってしまった泣き虫君なのでした…
そういえば、私は猿君のほうを怒らせるのが好きでした。しばらくしたらケロッと忘れるんで、少しやみつきでした。外で何故だかおしゃぶりを拾ったんですが、なにかつかえないかと思ってたらひらめきました。
彼の名前を「○○用」と書いておしゃぶりを机にそっと置いておきました…
しばらくして、ムキーーッ と期待以上の黄色い声が響き渡りました。
「んもーーーーっ 誰がやったーーっ このっバカヤロー!!!」
間違っても猪木ではないので、あしからず。
あの頃を懐かしむ、ピリオなのでした…

2009年8月12日水曜日

あんちゃんに命預けます

救命病棟24時の新シリーズを見ました。単に熱血漢医師が救急患者を救うということではなくて、医師不足に端を発する、病院の受け入れ拒否やモンスターペイシェントと呼ばれる人による医療訴訟など、救命救急の実状をリアルに描いています。久々にワクワクさせてくれるドラマです。
で、救急におけるモンスターペイシェントについて思うのですが、病院の受け入れ拒否でたらい回しにされ、なんとか受け入れ先が見つかり搬送されたが、懸命な処置も空しく息絶えた患者がいたとして、素人の考えですけど、受け入れ先が見つからず処置時間が遅れたことが問題であり、仮にその病院が拒否してたら、救急車の中か次の受け入れ先で息絶えてたかもしれません。何とか助けてくれと言ったけど、助かったら感謝。助からなかったら恨み。結果が得られなかったら全てが悪行為だったみたいな言われ方をされてたら、この世から救命の医師はいなくなってしまう様な気がしました。人が生きるための最後の砦をそんなにしてしまって、もしも自分に災難がふりかかったらその人は誰に助けを求めるのでしょうか…?
このことを考えてたら、ふとあることを思い出しました。先輩から聞いた話ですがある人がLSIゲームが故障して動かなくなったから、先輩に直してくれないかと頼んだそうです。雰囲気的には「壊れちゃったけど、あわよくば直って欲しい。でも直らなかったらしょうがない」みたいな感じで。先輩が何とかして修理して、スイッチを入れてみたら、ゲームは出来るけど音が出なくなってしまったんだそうです。そしたらゲームの持ち主、なんと「弁償してくれ」と言ったんだそうです…。 モノと命を同じに考えるのはどうかしてるかもしれませんが、これって似てませんか? その人のために手がけたことなのに恩を仇で返すと言う行為がとても似ていると思うんです。
なんとかする方法は無いですかね。アメリカでは救急車で搬送するときにウーンとうなって息も絶え絶えの人に、この症状には治療費がこれくらいかかりますがと承諾を取るとか聞いたことがあります。払えなかったらさようなら。何だかこのままだったら日本もそうなっちゃいそうでコワイです。
私の家族が一刻を争う事態になったら、まずは専門とかは度外視してとにかく時間を優先させたいです。どんな名医にも勝るのはいち早い処置だと思うからです。それと訴えたりしないから何とか助けてといいたい。誓約書でも何でも書きます。…でも遺族の立場になったらどうなんですかね… きっと振り上げた手を何処に向けたらいいかわからないんでしょうね。その気持ちも無視は出来ないです。とにかく私たちはこの様なドラマを通じて意識を持って現状を知る必要があると思います。死にかけてる者にとって頼りは目の前の人しかいないのだから… そして医療者は決しておごらず、命を守る事への自負と誇りを持って正面から向き合って欲しいと思います。互いの誠意さえあればそこに争いは生まれないと、私は信じたいです。
その辺をどう締めくくってくれるのか。上っ面のハッピーエンドではなく、リアルな光を見いだせることを期待しています。

2009年8月10日月曜日

マイセルフ ユアセルフ

前回、寿司のワードが出たので、今日は私の寿司へのこだわりについて書こうと思います。私の大好物は何を隠そう握り寿司なので、以前は自宅へ帰省中に3~4度は食べてしまう程でした。でも学生時代はとにかく量だったんですが歳を重ねるにつれ、小食気味になってきました。なので寿司屋、特に回転寿司屋では一皿目には何を食べるとかシメを何にするとか、自分なりのプランが必要になってきます。ここ最近では2年前に行ったきりなので、今ではまた変わってしまってるかもしれませんが当時のプランとしては、
まずは自分が一番食べたい物、ウニの軍艦巻きを頼みます。2皿くらい。その後は、トロとかサーモンとか油っこい物を食べます。途中で飽きたらタイとかヒラメとかを食べます。味を変えると満幅度が回復するんで、サラダ巻きとかイカ納豆なんてのもありですね。普通は淡泊なものから食べるんでしょうけど、お腹が空いてる状態で別な物を食べてしまうと、好きなトロとかがあまり入らなくなるので、とにかくある程度までは好きな食べ物で満たしたいのです。競馬でいうところの先行逃げ切り型の馬ですね。決して最後まで力を温存する差し馬ではないです。
ちなみに地味にガリも好きです。母は出前をとると私に好きなのをとらせようと海苔巻きやガリを食べるのですが、ガリがちょっとしかないとああああっっっとなってしまいます。回転寿司ではセルフのガリは大目にとっておきます。それとあのティーパックの番茶はなぜおいしいのか。何個かついついもらって帰ります。セルフですから笑。

2009年8月5日水曜日

スシ喰いねぇの人が…



映画「おくりびと」観ました。あんなに最初から集中できる映画は久しぶりです。邦画って独特のゆったりした間があって、入り込むまでに時間がかかると思うんですが、おくりびとはそんなこともなくスッと入れました。うまく言えませんけどそんな感じです。納棺師などという職業は聞き慣れませんが、実は誰しもに訪れる「旅立ち」に携わる訳ですから、ものすごく身近な存在なんですよね。安らかな仏さんもあれば、目を覆うような仏さんも当然いるでしょう。そんな中でも最高の敬意と誠意をもって、仏さんが旅立つお手伝いをするなんて、立派に人にも誇れる職業なのではないでしょうか。…あれは注目されて当然のはずです。

2009年8月3日月曜日

ギャラクシー・エクスプレス

ドラクエ9、やる時間が少なくてブログで騒いでいるわりにはあまり進んでいません。ゲームの中で、天の方舟という、天かける金色の乗り物が出てくるのですが、その様があまりにも銀河鉄道999に似ているので999のことを思い出してしまいました。今日は銀河鉄道999の話です。
松本零士といえば、宇宙戦艦ヤマトという人が多いはずですし、私と同世代の方はほぼ間違いなくヤマトと答えると思いますが、私は999スリーナインと答えます。ヤマトはヤマトの良さがありますが、主人公、古代進は強すぎます。いい男、熱血漢、揺るぎない心。昭和丸出しの王道をいく主人公よりも、母親を殺されて孤独な旅を続ける少年のほうが、私の目には輝いて見えました。
999の主人公、星野哲郎は未来の地球に暮らす少年です。世は病気や寿命を気にすることのない機械の身体を手に入れることの出来る時代になっていましたが、それは一部の富裕層の限られた人間の話で、貧しい人々は普通の暮らしさえおぼつかないばかりか、その機械人間に迫害される日々を送っています。そんなある時、哲郎の母親は機械人間の手によって殺されてしまいます… こんな悲しい気持ちにならぬ様に哲郎は機械の身体を手に入れることを決意し、哲郎に銀河鉄道の無期限パスを提供してくれた謎の女性メーテルと共に、機械の身体を求めて地球を旅立ちます。
しかし、長旅の中で哲郎は機械の身体で永久に生き続けるよりも、限りのある生のほうが価値があるんじゃないかと思い始めます。999フリークでもなかなか言わないと思いますが、私が特に印象に残ったのは、木製の身体を持った機械人間の回です。細かいところは覚えてませんが、ある星では安価で済ませるために、木製の身体にチップが埋め込まれただけの機械ボディが流通していました。木製人間は999に乗り込みましたが、事故により火が身体に引火し、全身火だるまになります。で、見るも無残に手のひらサイズのチップになってしまい、「哲郎くん……」「てつろう…く…ん」「…テツ…ロウ……ク……」と言ったのを最後に息絶えるのでした。その言葉の寂しさというか、虚しさというか、私が選ぶ名シーンのひとつです。
生身の身体、両親から授かったこの肉体にこそ魂は宿り、生命の息吹を奏でるわけで、それは決して代用出来るものではありません。簡易にやりなおしのきく人生なんて、堕落したつまらないモノになってしまうでしょう。…ヤマトは地球の運命を背負ってますから、スケールが違いますけどね…