長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年4月30日金曜日

ブームの“火付け”役



小学生の頃、「ゴールドライタン」というアニメが流行ったんですが、どういうわけか夕食中にふと思い出しまして、今日はその話題です。
ストーリーは、正義のライター(あの火をつけるやつです)型ロボットが悪の手から地球を守るというもので、攻撃方法は敵の動力源をサーチし、手を突っ込んで握り潰すという、デジタルなんだかアナログなんだかよくわからない戦い方なので、アニメ的にはあまりかっこイイ部類には入りません。じゃあ何が流行ったのかというと、ゴールドライタンとその仲間ロボットのキャラクターグッズが流行ったんです。
その頃、トランスフォーマーをはじめとする変形ロボがブームだったみたいで、多分その流れだと思います。何の変哲もない、乗り物や四角いライターがロボットになるプロセスが当時の男の子たちを釘付けにしたんじゃないでしょうか。ガムのおまけかなんかで、好きなライターロボが当たるようになっていました。みんなのお目当ては中々当たらないレア中のレア、修理ロボのメカニックライタンでしたが、確率で言うと雑魚のコピーライタン5割、ゴールドライタン3割、その他、で私は5割3割のしか当たりませんでした。
欲しかったなぁ、メカニックライタン。修理・修復って妙に憧れまして、溶接の火花とかドリルのギュイーーンとかゾクゾクするんですよ。直されたロボはまた戦うことが出来る。こいつさえいればまず間違いない。そんな安堵感を与えてくれるのです。
…私もメカニックライタンのような、頼りにされる存在になりたい… そしてあなたの心の傷も修復してあげたい笑…

2010年4月29日木曜日

GWゴールデンウイーク

ゴールデンウイークだというのに、外はどんよりで何となくテンションも下がります。NHKだと「大型連休」という言い方をするんですよね。確かどこかの映画会社の経営戦略で5月の連休をゴールデンウイークと名付けて、映画の週として定着させようとしたのが始まりらしいですね。当然、宣伝が御法度のNHKでは使えない言葉ですね。
ほかにNHKの視聴者への配慮として、例えばNATO-北大西洋条約機構とか、APEC-アジア太平洋経済協力会議とか、略称のあるモノの後に正式名称を言ってますよね。北朝鮮の貨客船も民法のニュースだと万景峰号とスーパー表記しますけど、マンギョンボン号とカタカナ表記されていました。マンボンギョン? マンギョンボウ? とか結局なっちゃいますからね。これもお年寄りのことを考えてもイイことだと私は思います。

地方局ではありますが札幌はSTVも結構、視聴者配慮しています。
お店の名前などを紹介するとき、料理のワンポイントを言うとき、必ずゆっくりと大きい声でしゃべっているんですよね。アナウンサーは滑舌がいいし時間が押されていることもあって、ワーーッと畳みかけるように話されてる気がして、結局よくわからない時とかあるので意外に助かります。ただ、どさんこワイド「奥様かけたら万」のコーナーで視聴者のクイズ回答が不正解だったとき、「答えは☆☆ではありません!」とわざわざいうところが、私はイラッときてしまいます。電話口に聞こえるように明快なジャッジをするんでしょうけど、「違います」じゃだめなんですかね? 別に満を持した回答でもない当てずっぽうの答えもあるというのに、冷酷に一言一言、引導を渡さなくてもいいじゃないですか。
そういえば、テレビ朝日のアナウンサーはどうしてちょっと怒鳴り気味に話すんでしょうか?きっと見本にしてる人の話し方なんだと思いますが、音声機器の具合か何かもあって、以上に力が入りすぎているように聞こえるですよ。例えるならスポーツ実況のテンションでしゃべってるような感じ?でしょうか? 私なんかはしゃべりが下手なので偉そうなことをいえる立場ではありませんが…。ていうか、こんな面倒な視聴者は放送局もいやですよね笑

2010年4月28日水曜日

おじいちゃんの形見

母方の祖父は、私が確か小学2年くらいのときに亡くなりましたが、私が家で留守番をしなければならないときに、家に来てご飯支度や身の回りの世話をしてくれる、器用で優しいおじいちゃんでした。
やはり年寄りということでほとんど寝てばかりいまして、余ったお金はあげるからタバコを買ってきなさい、と時々お使いを頼まれていました。

ある時、同じようにタバコを頼まれたのですが、その日はミクロマンのおまけ付きガムが欲しくて、余ったお金で買おうと決めていました。…ところが、あまりにも欲しい気持ちが強すぎたのか、本来の目的であるタバコの購入をすっかり忘れ、ガムだけを買って家路についてしまいました。家に帰ったときにはじめてその事実に気づきましたが後の祭り。でもおじいちゃんは怒りませんでした…。テレビの「はじめてのお使い」でさえ、紆余曲折を経ながらも目的をしっかり果たすというのに、我ながらお恥ずかしい限りです… あまりにも落ち着きがなく、よく周りをチョロチョロしていたことから、私は「チョロ松」と呼ばれていました。

そんなおじいちゃんとも、ついにお別れの時が来ました。でも、おじいちゃんが亡くなったとき、不思議と涙は出ませんでした。おじいちゃんと寝食を共にしていた孫兄弟、つまり私の従姉たちが号泣している様子をみて、小2でアンポンタンの私でも感覚だけは何となくではありますが感じ取れました。
数日後、私はおじいちゃんに買ってもらった、ジャンボ機のおもちゃを自慢げに親戚連中に見せつけ、「これはおじいちゃんの形見だよ」と言って笑われました。これが、おじいちゃんが遊んでた飛行機かい?って…
(*^_^*)形見という言葉をつかいたかったのと、亡くなった人との関連グッズを形見と言うんだと思っていたのです。

2010年4月27日火曜日

そういえば以前NHKで、ゲゲゲの鬼太郎は作者・水木しげるの特番がありました。
奥さんと過去の生活を振り返り、しげる本人の人生観とか死生観などにも触れていくような内容なんですが、数々の妖怪を生み出し、地獄界やら冥界やら死後の世界を作中で描写しているにも関わらず、「死んだら人はどうなると思いますか?」とのインタビュアーの質問に、以外にもこう答えました。

「死んだら何もない。無だ。」と…。
とてもひょうきんな人柄で、テレビのカメラが近づいたら寄り目とか変な顔をして笑わそうとするお茶目な人なので、もしかしたらあの世の話でもするのかなと思ったら、あくまでも鬼太郎はフィクションであるとバッサリ斬り捨てるように、彼は死んだら全て無に返る、と答えたのです。
確かにしげるは戦時中に自分一人を残して一個小隊が全滅し、自身も負傷して死の淵をさまようという悲惨な体験をしているわけですから、彼がリアルに感じた死をそのまま素直に表現しただけでしょうけどね。
私はこの話を聞いて、より一層彼の作品が引き締まったように思いました。もしかすると死を目の当たりにした彼だからこそ、その精神模様を絵と言う形で表すことが出来たのかもしれませんね。
番組の最後で、水木しげるは鼻くそをほじって丸めたかと思うと、ポーンと口の中に放り入れました… あまりにも自然体過ぎる… 水木しげるは鬼太郎の霊気よりも強力なキャラクターでした。

2010年4月26日月曜日

父さんのヒゲ



私は小学生の頃、バーバパパが好きでした。今は携帯のCMに出たり何かのグッズでちょいちょい姿を見ますけど、元々はフランス語圏でつくられたアニメ作品であります。日本語版ではのび太とスネ夫の声優が吹き替えを担当していて、この二人が登場人物全ての声を演じていました。ちなみにバーバパパとは英語発音で、本来のフランス語発音ではバルパパと言うんだそうです。意味は「父さんのヒゲ」なんだとか。差し詰め、親しみのある大らかな存在ってところでしょうかね。かくいうこの私も大らかで心優しく、人のために一生懸命なバーバパパに癒された一人です。
バーバパパは、普段はひょうたんみたいな姿をしていますが、あらゆる物に形態変化させることが出来ます。洪水の時はボートになって人々を助け、火事になったらハシゴになって駆けつけ、ポンプになって消火する。友達のフランソワを乗せて気球旅行にも連れて行ってくれる。決してその能力は悪用せず、文句も言わず奉仕する、心優しき男?なのです。
でもパパは、心の中でどこか寂しいものを拭いきれず、旅に出ます。自分と同じ仲間を探す旅に。確かに生きとし生けるもの、一人では生きていけませんよね。そして、ついに世界のどこかで仲間に巡り会うことになります。名前はバーバママ。これは運命も運命、超運命です!
かくして赤いロープ、もとい赤い糸でつながれた二人は、寄り添って生活することになりました。そう、結婚です。
そして、四男三女の子宝に恵まれて、世にも不思議な家族が誕生します。全て同時に誕生したので兄弟関係ではありませんが、色んな色の個性豊かな子供たちが新たなストーリーを創っていくのです。発明家のバーバピカリ、動物好きのバーバズー、トレーニング好きのバーバブラボー、毛むくじゃらだけど芸術家のバーバモジャ、女の子はおしゃれで踊り好きのバーバベルに、読書がすきでしっかり者のバーバリブ、歌と楽器が得意のバーバララ。彼らの紹介だけでも楽しくなります。一人をウィキペディアで調べた以外は全部覚えていますから、その好きぶりはわかってもらえることでしょう。
私は発明家のピカリが好きでした。役に立たない発明ばかりでいつも爆発してしまいますが、その無謀ぶりがイイんですよね。「変身すればいいのに」とは確かに思いましたけどね笑 それとモジャも捨てがたいですね。毛が生えているために変身してもクオリティが低いんですよ。それに加えておっちょこちょいで、他の仲間に遅れをとってしまいますが、ピカイチの芸術センスを持っている。誰しも何かしら人にはない優れた才能があると勇気づけてくれます。
…ピカリとかモジャとか髪の毛を連想させるものばかりですけど、本人の願望とかそういった意図はありませんので、あしからず笑

2010年4月25日日曜日

最強の虫

ちょっと気持ち悪い話です。
よくSF映画などで巨大な昆虫とかサソリとか出てくることがありますが、何かの番組で見たんですけど、虫や甲殻類などの無脊椎動物は骨格がないため、自身の体重を支えることが出来ないんだそうです。もちろん重力の影響を受ける、陸生の生物に限ってですけどね。
だから、「虫が人間大になったら何が最強か」とかいう面白い議論がありますが、巨大化出来た瞬間に「ベシュッ」と潰れてしまう訳ですね。
まあ、せっかくなんでありえない話とは知りつつ、ちょっと虫が人間大になった時のことを考えてみようと思います。私が最強だと思う虫は、蟻です。蟻は自分の体重の25倍の物を持ち上げる強靱なアゴを持っています。そんな蟻が人間大になった場合、成人男性の平均体重が65Kgとしてその25倍ですから、約1.6tものアゴの破壊力になるのです。そんなので喉を挟まれた日には、人間なんてひとたまりもありません。おまけに巨大蟻が作る巨大蟻の巣に運ばれて、巨大女王蟻の栄養にされるのです… アゴの力もさることながら私が恐れるのはその統率力。種の結束で固く結ばれた最高組織ですからね。この人間社会でそれほどの結束力を持つ国家権力などどこにもないでしょう? …常識も涙も感情もない、種の繁栄のためなら死さえいとわない殺戮マシーン…果たして人類が彼らに争うすべは万に一つでもあるのでしょうか…?……ああ、怖い。
…でも組織力で行ったら蜂だってすごいですね。空も飛べるし、スズメバチなんて毒針も持ってるし…だとしたら最強は蜂? …やっぱり、蜂ですね!

2010年4月24日土曜日

ナイス判断!!

人生最大の修羅場を先日お話しましたが、今度は「ナイス判断!!」の話です。
確かあれは中学生の時、学校祭での出来事です。その当時、学校祭は二日構成で、一日目は演芸発表的なものを、二日目はクラブ活動の紹介と交流の広場を催していました。生徒は一日目の発表のうち、必ず演劇か演奏かを選ぶことになっていまして、私は大した自信もありませんでしたが演劇のグループに入ることにしました。恥ずかしい話、内容はあまり覚えていませんが確か戦時中の話だったと記憶しています。
キャストが6人程度だったので私は二役も任されてしまいました。一つは医者の役で、もう一役は警官の役でしたがどちらもセリフは少なく全く苦になりませんでした。警官は衣装も他の登場人物に比べて多少凝っていて、どちらかというと警官役のほうが私には楽しみでした。ただ、かなり大きめのサイズだったので、多分着れるだろうと一度も衣装に袖を通すことなく本番を迎えてしまいます…そもそもその打算さが間違いのはじまりだったのです。
本番当日、最初の医者役は「もう大丈夫だよ」とのセリフだけで難なくクリア。あとは警官の衣装に着替えてラストシーンを待つだけ。さあ、医者の白衣を脱いで、警官のジャケットを着よう… そう思った次の瞬間!

!!! ボタンが閉まらない!!!
用意していたジャケットが思いのほか小さくて、ボタンが一個も閉めれないのです! 制服が乱れた警官なんて様になりませんよね?…シーンはクライマックス。脇役とはいえキャストに穴は開けられない。さあどうする!?
そこで私はとっさに思いつきました。ネクタイを外し、ボタンも全部外す。帽子も脱いで…
「よし、刑事役になろう!!!」上司の命令で手錠をかける役だったので、急遽新米刑事役にキャストを変更したのです。この私のナイス判断により、演劇は事なきを得ることが出来ました。太陽にほえろを見ていてよかったとつくづく思いましたよ… そして、今度から衣装には必ず袖を通そうと固く胸に誓ったのでした…

2010年4月23日金曜日

ソリソリ



昨日、秘密のケンミンshowで衝撃の事実を知りました。
それは、北海道は北の玄関口といわれる我が地元ではプラスチックのソリのことを「ボブスレー」と言うのですが、周りの友達に言っても「初めて聞いた」という人ばかり。ボブスレーとはウインタースポーツのアレのことだけを言うんですってね。他の北海道民でさえ知らないんですから、当然全国区ではないですよね…?
あんまり悔しいんで、これは番組制作と私の周りにいる人が知らないだけじゃないかと思って、グーグルで「ボブスレー」を画像検索したのですが、案の定出てきませんで、「プラスチック ソリ」と入れたらあっさり出てきてしまいました… なんだか知らないけど、くやしいなぁ…

でも子供の頃、友達のイシガキくんと乗った、「ボブスレー(意地)」。そう、あれは誰がなんと言おうとボブスレーでした。少なくとも、プラスチックソリなどというノーセンスなものではありません!!笑

2010年4月22日木曜日

クノールと私

クノールは最高です。カレーに混ぜると辛みがマイルドになるとか色々いいましたが、コーンクリームスープはそのまま正しい用法でいただくのが一番ですね。とうきびのほんのりとした甘みがまた、美味しいんです。
それと私は水分制限があるのですが、クノールは味噌汁と違ってしょっぱくないので、喉の渇きを気にせず摂ることが出来ます。
思えばクノールは思い出の味でもあるのです。まだ私が家で暮らしていた頃、すでに入院していた兄に月一回家族で会いに行き、宿泊施設で一泊二日というのがピリオ家の恒例事でした。その施設は食事は自前と決まっていまして、ごはんを炊くぐらいはするものの結局鍋物とか出前とかで済ませてしまうんですよね。でも朝からジンギスカンとかさすがに常識外ですのである程度の感じにはするんですが、そこでクノールが活躍するのです。
普段は味噌汁なので、新鮮みもあって実に美味しい。家族全員が揃うのもその時ぐらいなので、そういう雰囲気もあるかとは思いますが、味噌汁よりもクノールのほうが懐かしの味だなんて、妙な感じですよね。
そういえば、施設がまだ新設したばかりの時、やたらと物音が響いていたので母に静かに戸を閉めなさいと注意されていたのですが、父はそんな気遣いをよそに「スコーーーーォォーン!!!!」と大音声で戸を閉めてましたね… いびきもかくし声もデカイしさぞ迷惑な利用客だったと思いますよ。
今日はクノールと私、でした。

2010年4月21日水曜日

修羅場

あれは8年程前の話だったと思います。
その日は確か病院主催で患者家族の勉強会が行われまして、私も参加しました。
会の中で、当時松江で私のような筋ジストロフィー症者を診ておられるお医者さんの特別講演が開かれ、自分の見聞を広めるのと先生が「奇跡体験アンビリバボー」に出演した方ということで、私は興味津々でした。
ただし、我々入院患者はあくまでも予備的に参加が許された身のため、席には限りがあり車いす移動も容易に出来ないほどの密集度でした。私はなんの因果か一番前の席になりました。
さて、講演内容ですが主に患者の栄養摂取についてが中心で、病気の進行によって食事がむせたり詰まったりするとき実際にのど元ではどんな様子なのか、X線映像でブロセスの説明があったり、単に固形物の堅さや大きさだけが摂食の妨げになっているのではなく、見た目や趣味趣向などにも大きく左右され、好物であれば多少の難も気にせず食べられるというデータがあることなど、教わりました。

…講演も後半となり雰囲気も出来てきた頃、予期せぬアクシデントが訪れました。
尋常じゃないほどの猛烈な尿意が私を襲い始めたのです!!
身動きできないプレッシャーがより一層尿意を誘い、負の連鎖となって私を苦しめます…変な汗が出てきて、もう限界を感じた私の口から出た言葉は…
「(小声で援助の人に…)…あのう… ちょっと気分が悪いんで…病棟に戻ります…うぅ…」
先頭の私が退席するには、全ての患者さんに避けてもらわなければならず、さすがにおしっこで大移動を要求できるほどの器量など私は持ち合わせていませんので…
ともあれ、私の人生でも数回あるかないかの修羅場は、こうして脱せられたのでした…

その次の日、友達から「おまえ、昨日ホントはおしっこしたかったんだろ?」
うげっ!バレてる… もしかして他のみんなにも…? 今となっては知る由もありません笑…

2010年4月20日火曜日

青ダヌキは日本の縮図

またドラえもんの話です。
ドラえもんは、子供向けながら時代背景を投写した、社会派の漫画であると言えます。

のび太は教育という名の通り一辺倒のシステムが生み出したほころび、格差社会の暗の部分の象徴であります。本気で0点をとるのは彼の回答が人智を越えたものであることを表します。非凡な才能がありながらも社会という狭い枠組みの中に収まりきれず洩れてしまう。現代社会を映し出すいわば鏡であります。

ジャイアンは平和な昭和日本において、ガキ大将として君臨し理不尽極まりない横行を繰り返す一方、恐怖政治を強いることで新たなる驚異への抑止力ともなっており、それは空き地を中学生勢力に脅かされることなく自由に出来ていることが証明しています。貢げば恒久的な安全が保障され、万が一新興勢力により人民へ危害が及ぼうものなら、剛田剛は阿修羅のごとき立ちふさがり、たちまち窮地を救うでしょう。

スネ夫はのび太と対極なる存在であり、彼は読者へ絶対的貧富の差を見せつけ、現実の残酷なまでの厳しさを知らしめているのです。またジャイアンの取り巻きと成り下がることでセキュリティを盤石なものとし、それは北の驚異から身を守る、日米安保さながらの縮図とも見てとれるわけです。

こうして紐解いていけば、いかに本作品がメッセージ性の強いモノかご理解いただけたかと思います。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました笑。

2010年4月19日月曜日

とっても大好き青ダヌキ

よく「ドラえもんの道具の中で何が一番欲しいですか?」という感じのもしもがありますけど、こう聞かれたとき、みんなどうしてこの道具を言わないんだろう?? と思うモノがあるのですが、皆さんはやはり「どこでもドア」とか「タケコプター」とか想像しますか?
私は、ちょっとせこい回答ですが「四次元ポケット」が欲しいです。四次元ポケットさえあれば道具を全て使うことが出来るのです。ドラえもんがその商売道具である四次元ポケットを差し出すとは到底思えませんが、実は予備のポケットというのも存在しますので、ポケット同士はつながっているのでそれを使わせてもらえばいいんです。

四次元ポケットが反則なんだとしたら、「もしもボックス」はどうでしょうか。
「もしも、ドラえもんがのび太じゃなくて私のそばに居座ったら?」こんな条件でもつければ、ドラえもんはいつでも私のリクエストに応えてくれるでしょう。青ダヌキの顔にあきたときには解除して、必要になればまたもしもボックスを使えばいいのです。解除すれば全てが元通り。つまり良い思いだけして実害は一切なし。これほどイイ物はほかにありますかね。たらふく食べて太ったりモタボになったりしても元に戻れます。
でも、もしもボックスに最も頼みたいことは「もしも、平和で争いもなく、誰もが幸せな世界になったら?」ということですね。そもそもそんな世界はあり得ませんけど、もしもボックスを使っている間だけでも平和であって欲しいのです。
…ふう。危うくただのヘリクツ男になるところでした…

2010年4月18日日曜日

エコピリオの挑戦

昔、病院でリハビリの一環として、デコパージュという手工芸品をつくっていた時期がありました。
木材などに装飾を施して表面にコーティングをかける、元は廃材を利用した工芸らしいですが、ほとんどの人はデコパージュ用のキットで作っていました。様々な形に切り抜かれた木材に色を塗り、雑誌の切り抜きとか好きな物をかいたり貼り付けたりして、タオル掛けやティッシュケースになるキットもありました。

ただ、私は「元は廃材を利用していた」ことを小耳に挟んだので、ペン立て代わりに無造作に使っていた空き缶をもうちょっと見栄えのイイ物に作り替えれないかと思って、リハビリの門?を叩いたのです。
表面に貼り付けるモノは決まっていました。ファミコン誌にあったドラクエⅠのチラシです。
まず手始めにやってみたのですが、あれ? 色が載らない? 普段は木しか使わないのでアルミは相性が悪いようでしたが、作業療法士さんが缶に色を載せるための下地を探してくれて、苦心の末に何とか完成出来ました。私が作ったオリジナルのドラクエグッズです。大げさですが世界に二つと無いモノが出来たのです。
すっかり気をよくした私は、二作目ドラクエⅡのペン立ても作ることにしました。しかし、切り抜いて缶の表面に貼ろうとしたら、勇者の剣が長すぎて缶からはみ出るではありませんか。カラーコピー機もスキャナもない時代でしたから縮小も出来ず、泣く泣く剣を短く切るハメになりました…
さすがにドラクエⅢは作りませんでした。ペン立てはいい加減三つも要らないので。
ちなみに、その作品は私が病棟替えのときに処分してしまいました…。そもそもリサイクル品ですから、元は十分に取りましたしね。

2010年4月17日土曜日

マイ・レフト・フット



私が高校生の時、社会の先生がたまには息抜きにと授業中に映画を見せてくれたことがありました。
その映画は「マイ・レフト・フット」。生まれつき脳性麻痺のために不自由な生活を余儀なくされた、主人公クリスティ・ブラウンの半生をつづったものです。彼は画家、詩人、作家として成功しており実在の人物であります。
クリスティは幼少から障害のため意思伝達がうまく出来ず、知能に後れがあると思われ満足に教育を受けることが出来ませんでした。確か普通なら小学校に上がる年代になっても家にいたと記憶してます。
でもある時、クリスティがたまたま親が目を離したときに床に転げ落ちてしまい、親が心配して駆け寄って来たら、どこで覚えたのかこぼれた水を使って床に「ママ」と一言書いたのです。はじめて彼に自分の意思があることが認識された瞬間です。
私の同級生も同じハンディを抱え、小学校高学年になるまで特殊学級で学んでいましたので、その人のことを思うとどうしても両者が重なってしまい、実に感動しました。話すというごく当たり前のことが出来ないもどかしさは、私なんかでは到底計り知れない苦悩だったと思います。
とにかく、その一挙手一投足がとてもリアルで、脳性麻痺の方をオーディションで選んだのかと思うほどでしたが、それが演技だと聞いて驚きました。
印象に残ってるシーンが映画タイトルにもあるように、唯一動かせる左足でいじめっこたちにサッカーで挑戦するところです。確か負けてしまうはずですが不自由な彼の左足の強烈な蹴りを見たとき、それから彼をバカにする者は居なくなりました。高校生くらいだと映画で涙を流すような人はあまり見かけませんが、これはそれを覆すほどの涙ものです。私も涙がこぼれるのを我慢するのがやっとでした。WOWOWで放送したことがあるので再放送を望んでいますが、なかなかやりません。機会があればもう一度みたい映画です。

2010年4月16日金曜日

空気の壊し屋

昨日のアメトーークは3時間SPでやっていた「人見知り芸人」の未公開シーンでした。
私はどちらかというと人見知りではないと思います。かつては自分でも驚くほどオープン過ぎて、そのうち相手が嫌がってると感じるようになってきて、初対面の人にはあまり馴れ馴れしくしたら迷惑かなと思いセーブするようになりました。周りには人見知りと思われてるかもしれませんね。
でも、間作りというかそれが私はヘタで、妙な間や空気をつくってしまいます。そこは人見知りの人と共感できそうです。電話とかでも用件がないとフリーズしてしまいますし、会話で自分の中で起死回生のフレーズを言うと、??? つまりだだスベリします。込み入った会話に入りたくないときは、爪をいじったり目を細めてパソコンをやったり、指折りで数えるふりをしたりしてます。
それか私は目が良いので、遠くから人がやってきたらだいたい先に気づけるので、調子が悪い日は退くか車いすのスピードを緩めてうまく鉢合わせしないように調整を図ります。私の病棟はナースステーションを挟む形で廊下が分かれているのでそこを利用したり、多目的ホールにある柱の死角をつかうこともあります。
姑息な手段ですけどね。スイッチを入れれば平気ですけど、私は無駄に打席にたちたくないのです。でもいざ打席にたたされたら仕事は果たせると思います。二打数一安打でも五割バッターです。
最近覚えたことは、開き直りです。止まった空気の中でも平気な人のふりをすることで、相手に対応をゆだねるのです。今までは自ら打破しようとしてテンパってしまい、泥沼にはまっていく感じだったので。ただ相手によりけりですけどね。
面倒くさいやつでしょう? 私もそう思います。

2010年4月15日木曜日

ジンギ無き戦い

年甲斐もなく書きますけど、今日の夕食は病棟で調理してくれる「病棟調理の日」で北海道ならではの焼き肉、ジンギスカンであります。いつもは飽きる人とかのために牛とラム、二種類の肉を用意してくれていますが、今回はラム肉オンリー。私はそのほうが良かったですけどね。

そういえば、こんなことがありました。ジンギスカンを美味しく食べるのには、私的には野菜を鍋に敷き詰めて、その上でラム肉を焼く「蒸し焼き式」が美味しいと思います。肉も焦げにくく、軟らかく仕上がります。
鍋奉行とまでは行きませんが、このやり方を守るため、私たちは最初に野菜を並べることを強く推奨しているのです。蒸し焼き推進委員とでも言いましょうか。
あるとき、推進委員に暗雲が立ちこめる事件がありました。ある人のお父さんが焼くのを手伝ってくれたのですが、その人はジンギスカン鍋のドームの頂点部で焼く、ノーマル側?の人間だったのです。当然の焼く方だと言わんばかりの手際で、あっという間に野菜は縁に追いやられ、肉が直接鉄板の餌食になってしまいました。
このままではいかんと、ノーマルが席を外したのを(もはやお父さんは、ノーマルと呼ぶことにする)見計らって、野菜でドームを埋め尽くします。よしこれでOK…と思いきや、再登場のノーマルが野菜を端においやります。

蒸し焼き開始 →ノーマル登場・野菜よける →ノーマル退出・野菜戻す →ノーマル登場・野菜よける…

エンドレスのジンギ無き戦いは、蒸し焼き推進委員側が譲歩する形で幕を閉じました… 鍋奉行の牙城を崩すことは出来ませんでした。 

今日のは何タイプだったのかわかりませんが、ジンギスカン鍋という名の戦場で確かにその合戦は行われたのです。このことは、歴史の生き証人として後世に語り継いでいきたいと思います。過ちを二度と繰り返さないために笑…

2010年4月14日水曜日

つのだ☆じろう



うしろの百太郎、という霊魂とかを題材にした漫画があります。あのメリー・ジェーンで同じみ、つのだ☆ヒロの兄、つのだじろうの代表作で、劇画調のタッチが一層恐怖を引き立てます。
内容はあまり覚えていませんが、主人公の後一太郎【うしろ-いちたろう】が心霊現象を解明していくうちに生命の危機に陥り、それを守護霊である百太郎が強力な霊力で打ち破るというものです。

さて、今日はうしろの百太郎は関係ないんですけど、(じゃあ言うな! おしかりごもっとも笑)
従姉が心霊漫画好きだったもので遊びに行っては夢中で読んでおりまして、その中に、ある女の人が突然、行き交う人の頭上にローソクの火状のモノが見えるようになってしまう話がありました。その人の火が消えた瞬間に何らかの厄災が起きて死んでしまう、すなわち人の寿命が霊視出来るようになってしまったのです。最初は訳がわからない彼女も火の意味がだんだんわかってきて、何とか回避させようとしますが運命は変えられず、結局知らぬ間に能力も無くなってしまったという中身の薄いストーリーですけど、悪いやつがその能力を得たら、超能力者として世に君臨して能力を傘に暴利をむさぼるようなことしか考えませんよね。
私がその能力を得たら知らないふりをして過ごすと思います。言ったところで信じてもらえそうにないし、変人扱いされますよね。大切な人の火が消えかかったら… それは…どうするかわかりません。

2010年4月13日火曜日

村十分

フジテレビはドラマ・不毛地帯、特別企画ドラマ・わが家の歴史と、昭和の日本を題材にしたドラマを最近見ることが多いのですが、戦中戦後の激動の時代ですけど、誰もがたくましく生きていてイイですね。
モノもお金もなく荒削りで、今とは比べものにならない不便な世界。でも人と人の絆は固く、ガキ大将や顔に傷がある人にも人情があり、日本古来のしきたりとも相まって秩序が守られていた様な気がします。

細かい話ですが、自宅の向かいにアパートがあるんですが、今じゃ普通なんでしょうけど同じ町内に居ながらにして、町内会に入っていないんだそうで私は実におどろきました。現代人は忙しいから… アパートのほうで対応するから… そんなバカな! 周りのご近所だって家庭の仕事とか忙しい中でも、近所づきあいと思って挨拶交わしたり、せめて町内会費だけでも入れようかとか、考えて生活しているのです。その根幹たる最低限のモラルが要らないとはどういうことでしょうか。せめてアパート住民一人一人の意思でで決めて欲しいですね。去る者は追わず。でも去る前から引導を渡す体質はいただけないですね。

村八分 この言葉は周りから総すかんにあうことですけど、残りの二分だけは助けてやろうとの最低限の情があります。それはお葬式と火事です。町内会長さんは言いました。「亡くなったあの人のお宅は、会費を一銭も払わなかったから、葬式はあげられない」と。近所づきあいも町内会とも疎遠となった人の末路は、線香を上げてくれる人も、厄災から身を案じてくれるひともないひっそり寂しいものでした。
村十分…現代社会が生んだ、歪みのひとつですね。古き良き時代は戻ってこないんでしょうか…

2010年4月12日月曜日

道産子・島人なめんなよ

ネット通販で、総合的になんでも揃うところって少ないですよね。
以前も触れましたが、帯に短したすきに長しというか。それでAmazonでピクルスを買ったときのような間違いもたまに起きてしまうのです。
最近のよくあるパターンは、注文の段階で「個人のお客様はこちらへ」と別のサイトへ移されるもの。さんざん商品を選んだあげくに飛ばされるのなら、最初から法人向けと言ってほしいです。…どうりで送料が安いわけだ。
それと、安い・早い・豊富な品揃えと三拍子揃っているのに、「沖縄・北海道・離島の方は別途送料がかかります。」うーむ…百歩譲って離島であれば交通の便があるので仕方ないとは思いますが、沖縄・北海道って…内地の人間以外には安く売れないと? ちょっと日本にいながらにして、疎外感を感じてしまいました…
良いサイト・悪いサイトをここで語ると語弊があるので名前は伏せておきますけど、やはりモノを探す前に、送料・支払い方法・法人向けかどうか は先にチェックしたほうが良さそうです。

2010年4月11日日曜日

人想いの怪獣

昔の話になりますが、私は幼稚園にあがるまで指をしゃぶる癖がありました。幼稚園にあがってからは他人を意識し始めたからか、一切しゃぶりたい衝動は無くなりました。聞くところによると無理矢理辞めさせるのは良くないらしいですね。両親からよく怒られましたが、強要されなかったから辞めれたのかも。

その前は、ほ乳瓶が離せなくて困っていました。私は母乳で育っていないので、口が寂しいんでしょうかね。4歳くらいになってもほ乳瓶を辞められず、これは自分でも覚えていますが牛乳をほ乳瓶で飲んでいた程でした。困った母は「怪獣がほ乳瓶を持って行った」とどこかにほ乳瓶を隠してしまいました。そして、しばらくしてから「ほ乳瓶、戻ってきたけど使うかい?」と出してくれたのですが、少しは恥ずかしいことをわかっていたので「もう要らない」と見事?克服したのでした。
それにしても、ほ乳瓶を欲しがる怪獣ってどんなやつなんでしょうか?笑 差し詰め「授乳怪獣ミルトン」てところですか。

そのしゃぶり癖・吸い癖の名残からか、小学生の時はボンボンアイスが大好きでした。知る人ぞ知る、通称「おっぱいアイス」であります。まりも羊羹みたいなゴム風船状の球体にアイスが入っていて、先端の突起部分からチューチュー吸うのです。今思うと、ちょっと卑猥なアイスですよね。
さすがに今はそういう妙な癖はありませんので、ご安心ください。

2010年4月10日土曜日

服部先生が言うのなら…

今日の夕飯で、あるチャレンジをしてみたいと思います。
それはカレーのルーにカップスープの素を混ぜるというものです。ちょっとカレーの味に飽きてきており、何か出来ないかなと思っていたのですが、数年前、伊東家の食卓の裏技でやっていたのを思い出したのです。マヨネーズを入れたらまろやかになるよと教えられ、私も試したら「有り」だったんですがカロリーがとんでもないことになりそうなので、裏技を試そうかなと。…周りの評判はイマイチなんですけどね。

伊東家では、「辛すぎるカレーを甘くする方法」と紹介していて、甘くするのに牛乳をいれたりして美味しくないのは、味と一緒に旨みが薄まっているからと料理学校の服部先生が言ってました。それをカップスープの素が甘みと旨みをプラスしてくれることで、美味しさも損なわれないで甘くなるというわけです。

この文章を編集している最中に夕飯時になり、早速試してみました。



今回はクノールのコーンクリームにしましたが、売店にはそんなに種類がないため食べ比べることは今後ないでしょう。まず食べる前に通常時の味を確かめるために一口。??…今日のは私の口に合いそうだ… 普通に食べてしまいそうでしたがそれでは実験になりません。
気を取り直して試食開始。コーンクリームを少し混ぜてみました。ちょっと甘すぎるかなと思いつつも、へんにコーン感もありませんし、なかなか美味しいんじゃないでしょうか。辛党の人にはお勧めしませんけどね。中に入ってるクルトンが二次的にいいアクセントになっていました。家庭でカレーを作るとき、子供に味を合わせたくない人なんかは、いいんじゃないでしょうかね。次回もまたやってみようと思います。

2010年4月9日金曜日

三種の神器

アメトーークのポテトサラダ芸人に触発され、売店でポテトサラダを買ってしまいました。
ただのポテサラとバカにしていたら、案外美味しかったです。
地産地消のこの時代、じゃがいも生産量NO.1の北の大地にいながら、あまりいものことを重要視していないのはお恥ずかしい限りです。いもといえばそのホクホク感が売りとは思いますが、私は逆にそこがあまり好きじゃないところですね。喉の通りが悪いというか、どちらかといえば男爵よりもメイクイーンの方が水分があって食べやすいです。
口の水分をことごとく奪ってくれるおいもさんですが、その点ポテサラは理にかなっています。いもの水分の無さを他の野菜が補ってくれ、なおかつマヨネーズによってまろやかになる。食物繊維もとれますしね。
そういえば、うちで母がポテサラを作ったことがあるんですが、父にまずいと言われてしまいました。こんな味気ないやつを食えるかと。そこで今度はマヨネーズを大量に混ぜて同じものを出してみたところ、「これだ!」と大絶賛。早い話がただのマヨラーだったってことですね。
そもそもママレードを全て平らげるほどの濃い味好き?ですので、半端な味付けは通用しないのです。
もともと島根県の人間なのでそれほど濃い味好きじゃなかったと思いますが、北の大地のしょうゆ・バター・マヨネーズの洗礼をあびて、今じゃすっかり仕上がってしまったという訳です。

2010年4月8日木曜日

美の扉は開かない

私はビューティー・コロシアムが好きでよく観るのですが、この間はダイエットスペシャルでした。
色んなダイエットがありますよね。肉食、キウイ、アボカド、みかん、バナナ、さつまいも… どれも共通するのが、新陳代謝や脂肪燃焼を手助けしてくれる食材を摂ることと、有酸素運動を取り入れることですよね。そして我慢や無理をしないで出来ることが最大の魅力です。
そういえば、納豆ダイエットって流行りましたよね。身近にもやっていた人がいて「親子で挑戦してたのに騙された」と漏らしていました。
でも、それをいち早く見抜いた人物がいました。それは、私の母です。
納豆好きの母はヘタすれば一日二食が納豆でもいいぐらいの勢いなんですが、その母が
「私はそんなの最初からウソだと思ってた。だって毎日納豆食べてるけど全然痩せないよ」と言ったのです。これはかなりの説得力だと思います。齢72歳の肉体をもって実証してますからね、歴史が違いますよ。歴史が。
母も昔ダイエットを決行しましたが、今じゃダイエットという言葉は母の辞書から消えたみたいです…

2010年4月7日水曜日

心ない攻撃

コンピュータウイルスって自分は関係ない、と思っていたら案外身近だったりするんですよね。今ではUSBメモリを媒介して増殖するウイルスもあって、ネットにつながっていなければ安全とは言えなくなってきました。
何年か前、NYMDAニムダウイルスというのが流行りました。流行ったというか心ない者が人為的に蔓延させただけですけど、ニムダはPCを起動後、数十秒で再起動を半永久的に繰り返させます。PCは入力できなければただの箱と言いましたが、数十秒以内に出来ることってほとんどないので、まさにお手上げ状態です。友達の何人かが感染したのですが、なんとか不正プログラムを停止させることで再起動の繰り返しは回避されましたが、ちょっと不安だったので結局その人はインストールし直すことにしました。
対岸の火事だと安心していられないのがウイルスです。同じ構内LANで誰かが感染したということは、ウイルスのコピーがどこかに潜んでいる可能性があるわけで、私もウイルス検知ソフトの更新を終えた直後に、ウイルスを検知した経験があります。もしそのタイミングが数分でもずれていたら、感染していたかもしれません。
昔、ある人から「私のPCがウイルス感染した様です。メールにウイルスがついているかもしれないので、開かないようにしてください」というメールが来たことがあります。…おいおい、このメールのせいでもっと感染が広がったらどうするんだ、て感じですよね。人がいいというのか律儀というのか… 結局なんとも無かったですけどね。

2010年4月6日火曜日

嫌よ嫌よも…

立て続けにテレビネタですいません。今日はさんまのホンマでっかTV・SPのことです。
レギュラーはチェックしてませんが、評論家の面々の常識を覆す破天荒な発言がおもしろくて、SPだけ観てまして、
今回注目したのは「☆☆をやめろ」と言われたほうが、かえってやりたい気持ちを脳に印象づける、ということです。
心理学的にもこんな実験をしたそうです。

被験者グループABCに白クマの映像を見せるのですが、
A白クマのことを考えるな。
B白クマの行動をしっかり覚えろ。
C何も言わない。
これらの事前情報を与えてから見せたら、1年後最も白クマのことを覚えていたのはAだったそうです。

また、環境評論家によると例えば「浮気しない」も「浮気する」も浮気というワードがある時点で浮気を印象づけてしまい、どちらも脳的には同じことなんだとか。
本当に相手を信じているなら、浮気のうの字も日常会話に上らないってことですかね。
パンドラの箱も無造作に置かれてたら、誰も開けなかったでしょうね。そう思うと確かに納得できます。

熱湯リアクション芸人の「押すなよ!!」も、そういう計算があるのかな??

2010年4月5日月曜日

オムニバスの定番

突然ですが、世にも奇妙な物語って人気ありますよね。
何人かの人に録画を頼まれたので、その不動の人気ぶりが伺えます。
私は放送当初から知ってますのでちょっと飽きたかなって感じですが、それでも毎回観てしまいます。
カップヌードルみたいなものでしょうか。
今でこそ季節ごとに一回ずつ放送される感じですが、当初は毎週やってまして、確か高校生ぐらいのときだったと思いますけど、ドラゴンボールと世にも奇妙な物語は毎週の楽しみのひとつでしたね。

皆に言ってますが、私が一番好きな話で「復讐クラブ」というのがあります。
橋爪功がしがないサラリーマン役なんですが、まあとにかく仕事でストレスが溜まる。イライラの毎日の中、とある街角で「復讐クラブ」なる小さなオフィスに足を運ぶことになります。
あなたの復讐を手伝います。そんな売り文句で、憎たらしい人へ復讐してもらう変わりに、自分も別の誰かの復讐を果たすという交換条件で成り立っているのです。
最初はレベルが低いんですよ。上司のコーヒーの中に虫を入れてもらう変わりに、自分は誰かのターゲット宅に石を投げ入れる。いやな同僚を怪我させてもらう変わりに、自分も誰かを突き飛ばす…
で、それが病みつきになる、いわば調子に乗るのび太状態とでもいうべく世にもお決まりのパターンとなり、ついにエスカレートしすぎて、殺意を抱くようになってしまいます。ターゲットをおびき出し、さあ、という時、そのターゲットも自分のことを狙っていて、二人とも「ぎゃーーーー」みたいな結末なんですけどね。

不幸と幸せは紙一重。欲望を出し過ぎればしっぺ返しに遭う。では正しい行いさえすればイイのかと思いきや、とんだ落とし穴が待っている…。色んな意味で裏切られるところが世にも奇妙な物語の醍醐味ですね。
ちなみに世にも奇妙な物語は20周年を迎えたそうです。20年前か…

2010年4月4日日曜日

愛するが故に

NHK連続小説「ゲゲゲの女房」は初回視聴率が過去最低とのこと。
新作が出る度にその最低記録が更新されていくようです。確かにタイトルがゲゲゲなのでそのせいもあるかと思いますが、連続小説自体が低迷しているのではないかと思うのは私だけでしょうか。
まず、ほんの数分を毎日観なければならないことが今の私には苦痛です。仕事をしてる人なら尚更きちんと観れないんじゃないでしょうか。私がちょうど朝に一息つける時間が7:45~55くらいなので、ゲゲゲの時間までと思ってビデオを観てたらそのまま見忘れてしまうのです。どうも毎週一時間のドラマ形式に慣れてしまったようです。

ゲゲゲの女房自体は私はそれなりに面白いと思うのですが、視聴率が低い理由を私なりに考えると
ヒロインである布美枝の性格が暗すぎる。幼少の布美枝は「存在感がなく引っ込み思案」。NHK連続小説のヒロインの真骨頂である「明るく元気でいつでも前向き」とはほど遠いヒロイン像ではさすがに数字は取れないでしょうね。せめてドラマの世界ではこうあって欲しい。こんな女の子が近くにいればと夢を馳せながら視聴者は観ているのですから。
一応今週のしめくくりでは「布美枝は普段は目立たないが、いざという時には人のためにがんばれる力がある」とヒロインの成長が描かれましたし、次週からヒロインも少女時代から大人へバタンタッチになります。おじさんは松下奈緒に確実にハマるはずです。才色兼備、容姿端麗のヒロインに加えて、さわやか系・向井理で主婦層もカバー。ゲゲゲの女房の今後の巻き返しに期待です。

2010年4月3日土曜日

町工場芸人

アメトーークのスペシャルで町工場芸人をやっていましたが、意外にそのメッセージ性は高いと思っています。明らかにそれらの部品が無ければ製品は作れないわけで、むしろ誇れる仕事のはずなのにどちらかというとその地味さ故に日の目を見ない町工場ですが、お笑いというカテゴリとはいえスポットをあてて応援して行こうなんて、実に誇らしいことです。
不景気のこの時代を頑張る、中小企業や労働者を労るその姿勢は、社会貢献の意味でも流行語大賞をとってもいいぐらいの価値があるんじゃないですかね。家電芸人によって家電の売り上げも伸びたと思いますし、町工場芸人もかなりの社会の投げかけになると見ております。
私の好きな番組が社会に役立ってくれると、自分のことみたいで嬉しいです。

2010年4月2日金曜日

立ち上がれ!!

最近、ちょっとしたPCのトラブルが相次ぎ、昨日もブログ更新出来ませんでした。
昨日のは大したことは無かったのですが、PCがマウスカーソルしか動かなくなった時はさすがにお手上げですね。幸い、患者会のPCの係をしていたことがあるのでいくつか回避の選択肢はもっていましたが、PCは入力装置が無ければただの箱とつくづく思い知らされました。
そういえばPCの笑い話で、サポートセンターの人が「まずPCを立ち上げてください」と言ったら、「もう立ち上がってます」と答えたとか、
「PCの環境を変えてみましょう」と言ったら「昨日から窓際にPCの場所を変えたんですけど…」と部屋の環境を変えるんだと思ったり、
「CDを焼いてください」と言ったら、トースターでこんがり焼いたり、
そんな信じられない様な話がいくつもありますよね。
でも現在のPCは5台目なのですが、取説に「はじめにPCの電源を入れましょう。スイッチは…」とあったのですが、それはさすがにバカにしすぎでしょう。
…と思って、電源を入れてみる… あれ? つかない… おかしいな…
なんと電源コード横のメインスイッチを入れないと電源がつかないのでした…
きっと早とちりで「電源がつかないぞ」とクレームをつける人がいるんでしょうね。危うく私もその一人になるところでした…
よく考えたら、私はファミコンのカセットも満足に入れられない男だったのでした… 皆さんもバカにしないで謙虚に機器をいじりましょうね…

…ちなみにCDをトースターで焼いた話は、さすがに(*^_^*)ウソです。
(エイプリルフール一日遅れです)