長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2009年8月12日水曜日

あんちゃんに命預けます

救命病棟24時の新シリーズを見ました。単に熱血漢医師が救急患者を救うということではなくて、医師不足に端を発する、病院の受け入れ拒否やモンスターペイシェントと呼ばれる人による医療訴訟など、救命救急の実状をリアルに描いています。久々にワクワクさせてくれるドラマです。
で、救急におけるモンスターペイシェントについて思うのですが、病院の受け入れ拒否でたらい回しにされ、なんとか受け入れ先が見つかり搬送されたが、懸命な処置も空しく息絶えた患者がいたとして、素人の考えですけど、受け入れ先が見つからず処置時間が遅れたことが問題であり、仮にその病院が拒否してたら、救急車の中か次の受け入れ先で息絶えてたかもしれません。何とか助けてくれと言ったけど、助かったら感謝。助からなかったら恨み。結果が得られなかったら全てが悪行為だったみたいな言われ方をされてたら、この世から救命の医師はいなくなってしまう様な気がしました。人が生きるための最後の砦をそんなにしてしまって、もしも自分に災難がふりかかったらその人は誰に助けを求めるのでしょうか…?
このことを考えてたら、ふとあることを思い出しました。先輩から聞いた話ですがある人がLSIゲームが故障して動かなくなったから、先輩に直してくれないかと頼んだそうです。雰囲気的には「壊れちゃったけど、あわよくば直って欲しい。でも直らなかったらしょうがない」みたいな感じで。先輩が何とかして修理して、スイッチを入れてみたら、ゲームは出来るけど音が出なくなってしまったんだそうです。そしたらゲームの持ち主、なんと「弁償してくれ」と言ったんだそうです…。 モノと命を同じに考えるのはどうかしてるかもしれませんが、これって似てませんか? その人のために手がけたことなのに恩を仇で返すと言う行為がとても似ていると思うんです。
なんとかする方法は無いですかね。アメリカでは救急車で搬送するときにウーンとうなって息も絶え絶えの人に、この症状には治療費がこれくらいかかりますがと承諾を取るとか聞いたことがあります。払えなかったらさようなら。何だかこのままだったら日本もそうなっちゃいそうでコワイです。
私の家族が一刻を争う事態になったら、まずは専門とかは度外視してとにかく時間を優先させたいです。どんな名医にも勝るのはいち早い処置だと思うからです。それと訴えたりしないから何とか助けてといいたい。誓約書でも何でも書きます。…でも遺族の立場になったらどうなんですかね… きっと振り上げた手を何処に向けたらいいかわからないんでしょうね。その気持ちも無視は出来ないです。とにかく私たちはこの様なドラマを通じて意識を持って現状を知る必要があると思います。死にかけてる者にとって頼りは目の前の人しかいないのだから… そして医療者は決しておごらず、命を守る事への自負と誇りを持って正面から向き合って欲しいと思います。互いの誠意さえあればそこに争いは生まれないと、私は信じたいです。
その辺をどう締めくくってくれるのか。上っ面のハッピーエンドではなく、リアルな光を見いだせることを期待しています。

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