長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2011年1月31日月曜日

治験

筋ジストロフィー症に効果があるとされる、新薬の日本での治験がはじまるようですね。
私は当事者として、自分の病気が100%治るとは思っていません。だから、こうしてその話題を出したからといって、夢うつつを抜かすおめでたいやつとは思わないで欲しいんですよね。極端な話その薬の効果が微々たるものでも、直接私に効かなくてもいいんです。少なくとも往生するそのときに、自分の病気がどうにかなる可能性はあったのか、無かったのか。それがわかっただけでも全然違うと思うんですよ。
現実的なことを言えば、薬で進行が止まったからといって、生活が飛躍的に変わるわけではありません。それに難病ということで受けている年金や福祉サービスの質が下がったり、サービス自体が受けられなくなったりとか良いことばかりではないと思います。メリットと言えば、更なる延命のため時間が稼げることぐらいでしょうか。少しでも長くというのは家族のささやかな願いですからね。
…とにかく、一石が投じられたことは間違いありません。

2011年1月30日日曜日

代償

昨日のサイエンスミステリーで色々な脳の症例をとりあげてましたが、場所が脳なだけにいくら医療技術が進んでも、なかなか踏み入れられない領域みたいですね。食欲を抑制できない障がいで悩む女性は、電極を脳に埋め込んで食欲を封じる変わりに、活発だった自身の明るい性格をも閉ざしてしまいました。医療的にはめざましい一歩だったかもしれません。本人も長年の夢が叶って病を克服できた。でも明るいお母さんを失った家族の代償はあまりにも大きいと思いました。
先日の私のブログと大いに関連しますが、ハンディを背負いながらもそれを個性として捉えて懸命に暮らすことのほうが、人らしい生き方のように見えましたね。当然、病気は治るに越したことはないですけど、私は病気が治る代償に人格が変わるのだったら、そんな治療は嫌ですね。…人のトラウマとか深い部分のことだから、一概に私の考えが正しいとは言えませんですけどね。少なくとも病気が治っても気持ちが暗いんじゃ、あまりにも切ない気がしました。

2011年1月29日土曜日

料理

今日は、NHK連続ドラマ小説「てっぱん」からの話題です。
削り節職人・神田の前に突如現れた、神田の知人の娘だという女。何やら訳ありな彼女の出現に、田中荘の住民が振り回される。今週はそんな展開なんですが、初音ばあちゃんは、人が悩んだり何らかの岐路に立たされたとき、必ずメッセージをこめた料理でもてなすんですよね。で、田中荘の住民が住まいを決めた理由も、ほとんどが初音ばあちゃんの手料理が決め手になっています。人と人とをつなぎとめるのは、思いやりだと思いますが、ときに人というのは意固地になり、頭でっかちな能書きばかりたれて素直になれないんですよね。そこに理屈を度外視してスッと入っていけるのが手料理なんだと、あらためて思いました。
しつこいようですけど、私らが身近に感じられる手料理というのはやはり病棟調理なんですよね。当然、毎日調理師さんが愛情込めて給食を作ってくれてますけど、病院としての性質上、能率アップや治療色とは切っても切り離せません。保健所などの食品管理の視点からすれば、病棟調理ほどあやふやなものはないと思いますが、食べられる量にも融通が利き、立ちこめる香りとアツアツの料理は、トレイに収まっている無機質な料理達とは訳が違い、心身共にあたたかくしてくれます。正直なところ、多少のことがあっても「明日は病棟調理があるからいいや」と逃げられるところもあるんですよね。
…ちょっと長くなってきたので、今日はこの辺で。

2011年1月28日金曜日

長寿

先日のほんまでっかTVで、元衆議院議員の田嶋陽子が今後の人生相談をしていました。
内容は「楽をして長生きをしたい」。…極度の運動など無理な努力をすることなく、長生きしたいという我が儘ながら究極な願いですよね。先日の逸見政孝しかり、木村拓也コーチしかり、ストレスや過度の努力が皮肉にも寿命を縮ませるのは誰もが思うところですけど、そういう意味では「楽に」生きようと思うことのほうが、長寿につながるのかもしれませんね。
…楽して長生き、なんて普通だったら堕落した人間に思われたくないから、なかなか口に出しては言えないですよね。なんでも包み隠さず話し、妙なストレスを溜めることなく楽観的に生きる。そんなことを地で実践してる田嶋陽子みたいな人は、きっと百までは悠に生きるでしょうね。見た感じ食生活もきちんとしてるようですしね。

2011年1月27日木曜日

懸命

背番号5538さんから、故木村拓也コーチのプレミアムディスクを借りて観ました。
彼は私とたぶん同い年だったんじゃないかと思います。巨人に移籍してきたときぐらいしか知らなかったんですけど、厳しかったお父さんの指導もあり、ディスクタイトルの「一生懸命」からもわかるとおり、真面目でひたむきに野球を愛した男だったんだなと改めてわかりましたね。皮肉にもその「頑張り」が彼の病気の判断を遅らせることになってしまいましたが、それは今さら言ってもしょうがないことです。
それにしても不思議に感じたのは、観てる途中で木村コーチが故人だということをすっかり忘れているんですよね。ファンに向けられたものというよりは、木村コーチが家族に伝えられなかったメッセージを変わりに果たしているような気がしました。これからもお父さんを身近に感じて、元気に逞しく生きてほしいものです。

2011年1月26日水曜日

宿命

去年の一時期、北斗の拳を第1話から順々にチェックしてたのですが、第3部を終えたぐらいで集中力が切れてしまい、そのままにしていました。先日のシルシルミシルで、吉野家の牛丼を北斗の拳風(北斗の拳ならぬ吉野家の件…失笑)に紹介してたのをみて、再燃しました。
第4部は物語の終盤も終盤で、世界を恐怖で征服しようとするラオウと、ラオウを命がけで阻止する男達の闘いとなっています。「宿命」なんて言葉は時代錯誤も甚だしいのですが、変えようもない運命の中で懸命に戦う姿は、賭けるモノが命という意外、現代社会にも通じるものがあると思います。かえってラオウよりも手強い猛者がいっぱいいるのかも…。
…私もケンシロウのような、揺るぎない力が欲しいです。

2011年1月25日火曜日

甘王

ローソンは、あまおうのロールケーキって人気なんですね。
食べてみたら確かにうまい。人気が出るはずです。…最近は下手なご飯よりもスイーツのほうが食べたいと思うようになってきました。身体がそうさせるんだと思いますが、塩分が多いとそれだけで美味しく感じないんですよね。最近は特におかしくて、酸味や辛みがないとダメみたいです。
何か因果関係があるかもしれないので、調べてみようと思います。

2011年1月24日月曜日

背負

年の始めの金スマで、逸見政孝夫人の晴恵さんを偲んで特集が組まれてました。
ご主人が亡くなった後の苦労話がメインでしたが、逸見さんは長年の夢だった6億の豪邸を建ててから数ヶ月もしないうちに旅立ったため、大物の妻と言うだけでも大変なところを6億の債務をひとりで抱え込むこととなり、私のような一般庶民では到底考えられないような辛い日々だったと思います。苦労なんて2字でまとめてしまったら罰が当たるかもしれません。年間100本講演をこなして、数年で完済してしまいます。自身も大病をし満身創痍になりながらも力強く生きられたのは、「背負って」いたからなんだと私は思います。
主人の変わりに家族を支え、家を守るんだという信念が苦難をはねのける原動力になったんでしょうね。
自分の母親と照らしてみても、やっぱり背負いながらも逞しく生きてますもんね。統合失調症に悩む夫、そして身障者を2人も産んでしまった、ぬぐい去れない負い目。でも自分を見失わずに、感謝とはなにか。道理とはなにか。尽くすとはなにか。優しさとはなにかを教えてくれました。
晴恵さんも母も絶対に天国に行けますね。それでもえんま様が四の五のいうのなら、私は全身全霊、戦います!!

2011年1月23日日曜日

確認

例えば、漫画がアニメ化されたときとか、ドラマの再放送をしているとき、重要な役どころが命を落としたりしますよね。何故か知りませんけど、私も含めて大概の人は「あれ?☆☆まだ死んでないの?」やたらとそればかり聞きますよね。あれ、何ででしょうかね。さも死を待ち望んでるみたいで、なんだか変な話ですよね。スクールウォーズでいうところのイソップ、ドクターコトー診療所でいうところのアキオジですね。前者は流石に古すぎですけど…。まあ、里帰りしたそばから「いつまでいるの?」と聞くのと同じことですかね。
話は変わりますが、今日の2字タイトルは過去に類を見ないほど難航してます。1ヶ月が限界かな…?

2011年1月22日土曜日

価値

アメトーークの「中学の時イケてない芸人」ではありませんが、私は小学生のとき、自分が身障者なのは周知の事実だったのですが、「足が悪い」印象でしかなくクラスの人たちには、引っ込み思案で運動神経のないデブとしか見られてなかったと思うんですよね。
そんな私にとって、運動会やマラソン大会もさることながら、図画工作で賞をもらったりとか「華」をもてることは夢のまた夢で、とりわけ功績を称えた「表彰状」というものは神々しい存在とさえ感じていました。だから去年もブログで言いましたが、学年漢字テストでBグループの7位になって(実質47位)賞状をもらったとき、それはそれは喜びもひとしおでした。それがいざ転校してみると、人数が少ないのでしょうがないですが、読書感想文では参加生徒全員が得られる「佳作」で賞状がもらえ、学部レクでももらえ、病棟行事でもらえ、ありとあらゆる部分で授与されるわけです。私の中で価値ある存在からただの文字の羅列に成り下がってしまいました。贅沢は言いません…もう少し付加価値と達成感がほしいんです。
皆さんは、いくつの賞状をお持ちですか?

2011年1月21日金曜日

贅沢

アメトーーク3時間スペシャルのゴールデン自粛延長戦を観ました。
売れてないのに子供いる芸人を見たら悲しくなってきましたね。割とテレビ露出の高い、ダイノジでさえ子供にゲームを買ってあげられるほどの収入がないんですよ。公園で一日中スーパーマリオのマネで、ゲームを楽しんでるつもりになる……子供以上に辛いですよね。
ダウンタウンDXDXで芸能人の邸宅とか、何百万の時計とか紹介してましたが、そこの地位までたどり着いたのは結果論であってごく一握りの人たちの話ですよね。一攫千金を夢見て、貧乏な下積み生活を経て、幸運にも売れることが出来たのなら、贅沢をしてしかるべきじゃないかと、見る目が変わりました。しかもお笑い芸人であれば後輩達の面倒見が良く、大盤振る舞いしてますからね。好感持てますよ。
でも、バラエティ番組としてはあまりにも悲しすぎて、面白くはありませんでした。シャレになってませんから。

2011年1月20日木曜日

無謀

今日は月に一度の病棟調理の日。今となっては数少ない楽しみのひとつであり、入院患者にとって一種の一大イベントと言っても過言ではありません。その辺は普段ブログで四の五の言っているので、今さら語ることではないんですけどね。
今日のメニューは「おでん鍋と鶏団子」。いわゆる、おでんでしたが、おでんダネの味も程よく、しばれるきょう日には最高の鍋となりました。調子に乗ってタマゴを2個も食べちゃいましたよ。私はアツアツのものを見ると無謀にも口に入れてみたくなるんですよね。確実にダチョウ倶楽部と出川なら敬遠すると思われます。「熱っ!!」案の定、舌にダメージ。でもそれがいつしか私の中ではお約束になりつつあります。そう、水戸黄門の印籠のように。

最後に、今日の感想を世界陸上の織田裕二風にまとめたいと思います。

「アツアツの鍋を腹一杯食べれる。地球に生まれてよかった~」

2011年1月19日水曜日

運気

今日は、病院は指導室企画のビデオクイズでした。
私自身はベッドで安静にしていたため、参加したつもりになってVTRだけ楽しみました。今日の優勝者は28点獲得の人でしたが、私の“つもり”成績は2問間違えの19点でした。20点の人が第3位だったので、4位相当の成績だったことになります。だからなんなんだという話ですけど…。このクイズは10年以上は実施されている歴史のある行事ですが、確か私の最高成績は2位だったような気がします。私にはもともと華がないので、それぐらいが良いんです。それにつもり参加とはいえ、新春のっけから優勝しちゃったら、今年の運勢はかえって不安ですからね。あと残り11ヶ月分の運を残しておかないと。(負け惜しみ!?)

2011年1月18日火曜日

完遂

そういえば、知らずの内に「ブログ一年間無休」の計画が完遂していました。
出来れば二年・三年と続けて行きたいですね。…長く続けてみて気づいたことなんですが、本当に話題が枯渇した時って、人は大体天気の話をするんですね。一見、テレビネタのほうがネタ切れっぽいですが、本当に箸にも棒にもかからないようなことなら、載せようとも思いません。一度軌道に乗ってしまえば色々話題も沸いて来て形になっていくのですが、時々わけがわらなくなり、面倒になって全部消してやりなおしの時もあります。散々長文を書いたあげくに、たった三行で終わりとか。
とりあえず、次の目標は「ブログ二年間無休」です。

2011年1月17日月曜日

命題

昨日、宇多田ヒカルの「人間活動」の話をしましたが、私も社会経験の無さでは共通点があるなと思いました。ただ、非凡な才能が「普通」からは生まれないんだとしたら、それも悪くないのではないでしょうか。普通じゃ出来ないような経験も沢山しています。人への感謝やありがたみを身をもって知ることが出来る。逆に人への優しさとは何かを身をもって教えられる。生を間近に感じることで、大切に時間を生きられる。探せばもっとあるはずです。物事は諦めず探求するからこそ進化するのであって、「☆☆だからしょうがない」から「★★だから出来る」に本人はもちろんのこと、周りも本腰を入れて変えていかなければならないと思います。
掲げられた命題はあまりにも荘厳で、重い…

2011年1月16日日曜日

経験

昨日の9時過ぎ、何気にチャンネルを変えていたんですけど、NHKで宇多田ヒカルの特集をやっていました。たしか「人間活動のために」芸能界を辞めるみたいな話でしたよね。その当時は、アーティスト風情が随分まどろっこしいことを言ってくれたなと思っていたんですが、少し話を聞いたらそうじゃないんですね。
アーティスト・宇多田ヒカルとしては輝き続けられても、じゃあ実生活はとなればスケジュールも過密になって、身の回りのことを何も出来ないような人間になってしまう。そういうことらしいんですね。
一般庶民が経験し得ないであろう、海外留学や英才教育を受け、才能を十二分に開花させた彼女にとって、その一般的な経験が、周りの同世代に比べてほとんど出来ていないってことですよね。うーん、贅沢な悩み…。
ですが、あまりにもビッグネーム過ぎますよね。思うような生活は出来るんでしょうか。「人間活動」がどう宇多田ヒカルの人生に作用するか、これからが楽しみです。

2011年1月15日土曜日

無題

なんと私は無力なのだろう。
饒舌な言葉で喜ばせることも、勇気を与える粋なセリフさえ言えない。
とにかく、私がいつでもそばにいるということだけは、知っておいてもらいたい。

2011年1月14日金曜日

果汁

最近、利尿剤が増えたのですが、排出される分のカリウムの不足を補うために、果汁を飲むとイイとのことでした。私は薬の効き目に影響が出ると考え、あえてグレープフルーツ果汁を避けてましたが、もしかしたら身体がそれらを欲しているから、私は妊婦さんのように柑橘系のモノを食べたくなるんでしょうか。
こういうことって継続しないと身体に反映しにくいものですが、ネットで色々情報を仕入れて健康管理に努めたいと思います。

2011年1月13日木曜日

意地

例えば、老舗の名料亭があったとします。しかし師匠のやり方と反りが合わず、弟子は独り立ちすることにしました。ケンカ別れとなってしまい、師匠はかんかんに怒っていてのれん分けはもちろんのこと、料理人としての存在すら認めようとしません。事実上の破門です。この料亭は料理界では幅をかなり効かせており、弟子にとって障壁になることは免れません。
さて、この場合、彼の板前としての料理は、世にとって全く意味もなく役にも立たないものになってしまうのでしょうか。当然、お墨付きではなく知る人にとっては邪道なわけですが、弟子の腕は確かで、曲がりなりにも師匠の下で培った経験と技術は本家本元のそれと比べても遜色ありません。

この議論では、老舗としての師匠のプライドと、一料理人としての弟子のプライドが激しくぶつかっていますが、肝心なところが抜けています。その中にはまず「人」が入っていない。そして何より根底に無ければならないはずの「料理」そのものが置き去りにされていると思います。美味しい料理と食べる人の笑顔がもっとも大切なことですよね。そこに渦巻く変な派閥争いみたいなことが、私は嫌気がさしてしまいます。手に手を取って歩み寄ることは出来ないんでしょうか。

実はそれに近いようなことがあって、昨日は何も手がつかなくなってしまいました。散々悩んでいましたが、どちらかの考えに身を置きながらも、双方の賛否をよく知った上で客観視することが必要だと感じました。自分がどういう立場にいてどう思われているのかも見失ってはいけないと思います。それがブレーキが効かなくなったときの抑止力となり、関係を悪化させないことにもつながると思いたいですね。あくまで願望です。
今夜はぐっすり眠れるでしょうか。

2011年1月12日水曜日

魚魚

昨日、久々に笑っていいとものレギュラー放送を観ました。たまたま、テレフォンショッキングでさかなクンがゲスト出演していました。大学の客員准教授となったさかなクンですが、本名を公開してるのかわかりませんが、周りはなんて呼べば良いんでしょうか。目上の教授とかなら「さかなクン」でしょうけど、「さかなクンさん」とか「さかなクン先生」とか呼ぶんでしょうかね。
そういえば、さかなクン、かなり絵心がありますよね。標本に書くから必要に迫られてのことだと思いますけど、探求心さえあれば人って何でも出来ちゃうんですね。
友達と、声の雰囲気が似てるから芸人のもう中学生(以下、もう中)とコラボさせたら、なんて話してましたけど、絵のクオリティの低さにさかなクン、ブチギレるんじゃないでしょうかね。「もう中」の命とさかなクンの人格を守るためには、彼らを決して逢わせてはなりません。
なんか番組の最後の締め方が変だなと思ってたら、曜日対抗いいとも選手権、やめたんですもんね。あれはやめたほうがいいと常々思ってましたから、ちょうど良かったです。

2011年1月11日火曜日

九割

2009年のブログ投稿総数は331でした。
昨年は「毎日ブログ更新」を目標に一年間やっていましたが、確か新年4日スタートだったのと、ゴールデンウイークのお休み、それとネットが時々不調で更新出来なかったので365日に満たないんだと思います。とはいえ、今年の10日分を加えたらあと数日で達成出来ますけどね。
…振り返ってみると、けっこう同じことばかり言ってますね。書きながら自分でもわかってはいるんですけどね。ただその日の気分でどうしてもそのことを聞いて欲しい時があるんですよ。いや、聞いて欲しいというより言いたいんですね。自分の中で区切りを付けるというか。考えって言葉にして形に表した方が、気持ちを整理出来ますもんね。きっとその作業をしないで内に溜めていったりすると、精神的にきてしまったりすると思うんですよ。今後も同じことばかり繰り返すと思いますが、年寄りの話みたいと嫌がらずに、構ってやってくださいね。

2011年1月10日月曜日

大河

昨日から大河ドラマ「江」が始まりましたね。
徳川家に嫁いだぐらいの情報しかありませんでしたが、NHKの歴史秘話「歴史ヒストリア」で付け焼き刃ながら少しはどんな人物かは見えてきましたね。政略結婚という愛のない仕組まれた結婚の中で幸せを見つけてゆく。到底想像できない世界です。女性が進出することが御法度の世の中だったので、嫁ぐことしか生活の術がなかったとは思うんですけどね。きっと歴史の表舞台で活躍した人間の背景には、そう言う女性達が陰で支えていたんだと思います。もう表からの切り口は飽きてきたので、今までの戦国モノよりは面白いと期待しています。ちなみに年始のスペシャル番組が込んでて、まだ観ていません。

2011年1月9日日曜日

情景

徳永英明のライブを観ました。
徳永英明は私が中学生くらいの時にデビューしたんですよね。友達が好きでよく聴いていました。最近は大病も乗り越え、カバーアルバムも人気を博して見事に返り咲きましたよね。
さて、ライブの話に戻しますけど、はじめは全部カバー曲だけかと思ったら、自身のナンバーも普通に歌っていました。もうそろそろカバーにも飽きてきたので良かったです。後半のほうで「夢を信じて」という曲を歌ったのですが、何だか中学生時代の思い出が蘇ってきてジーンとしてしまいましたね。
ここで言ったかどうか忘れましたけど、私にはヒデキという親友がいました。一つ下の子でしたが私のことを呼び捨てにする生意気なやつでした。歳が近い子があまりいなかったので彼も嬉しかったんでしょう。私は私で地元の学校でいた友達も同じぐらい大切な存在ではありましたが、どこか引け目を感じて対等な立場とは思えませんでした。だからかどうかはわかりませんが、すぐに仲良くなりました。…でも付き合いは三年ぐらいでした。それは、彼が中2の時に他界してしまったからです。彼は生意気で随分ませた子でしたが、頭がキレて生徒会とかでもバリバリ出来る人でした。患者会とかでも将来の有望株だったと思います。時効と思って言っちゃいますけど、ヒデキが当時好きだった女の子が徳永英明のファンだったんですよね。だから、徳永の歌声を聴いてるうちに色んな想いが浮かんできたんです。ヒデキが居てくれたら私も患者会でもうちょっと楽が出来たんじゃないか。好きな子と付き合えてたんだろうか。不甲斐ない私をしかってくれたんじゃないか。そんなことを。音楽で当時の情景が甦るということを実体験してしまいました。心地良いような気持ち悪いようななんとも不思議な感覚でしたが、その一瞬だけ私の中でヒデキが甦りました。
今日はちょっとセンチ(死語?)になってしまいましたね…。

2011年1月8日土曜日

敗北

年前のケンミンSHOWで紹介され、お取り寄せしたあんずのしそ巻きでしたが、満を持して食べた結果を言いたいと思います。…ダメでした。
何がダメなのかというと、甘すぎるのです。そもそもシロップ漬けで売られるほど果物感全開なのに、ご飯のおかずになると思っていた私が間違っていました。美味しくないわけではありませんが、もうちょっと塩気があれば梅干し感覚で食べられるのになと思います。まあ、お茶請けとしてならイイかもしれませんね。
ネットのお取り寄せで、今のところ0勝2敗の成績です。美味しいモノの情報があったらぜひ私目にご連絡ください。ただし!テレビでやる前に!!笑

2011年1月7日金曜日

神様

新春特別ドラマ「トイレの神様」を観ました。
そう、あの紅白に出場した植村花菜のやつです。実は紅白で取りざたされるまではあまりトイレの神様のことは知らなかったんですけど、話題の歌のやつなのでミーハーな根性でビデオに録りました。
トイレの神様の歌詞のとおり、おばあちゃんとの思い出を赤裸々に綴っているのですが、私は祖母という人を身近に感じたことがないので、うらやましく思いながら観ていました。おばあちゃんがバラバラに崩れそうな家族をつなぎとめる姿は、現代日本が忘れかけた何かを思い出させてくれる気がしましたね。親や兄弟は完璧ではなく、逆に本人の妨げになったりいさかいになることもあろうかと思います。日本人は口べただから尚更です。そんな時に客観的な立場で諭してくれる人が昔は身近にいたから、家庭内暴力とか深刻な状態までにはあまりならなかったのかもしれません。お年寄りは大切にしたいですね。

2011年1月6日木曜日

美味

おまえはどこのワカメじゃ!
私より年下の若者には全く何のことだかわからないかと思いますが、これはかつてバラエティやドラマなどで一世を風靡した、俳優・故石立鉄男がわかめラーメンのCMで言っていた、当時なら誰でも知っているフレーズです。そのわかめラーメンのミニサイズをお昼に食べたのですが、CMは知っていたものの多分はじめて食べたと思うんですよね。最近、カップメンのヒットはあまりないのですが、これはなかなか美味しいです。シンプルなしょうゆ味にわかめ。ただそれだけなんですけどね。
私はエースコックと相性がイイようです。通とかに言わせたらあまり本格仕込みじゃないのでちょっとあれですが、生麺タイプがそもそも好みじゃないし、あのチリチリのいかにもな麺が好きなんです。所詮インスタントはインスタントの域を超えられない。逆に私は超える必要もないと思ってます。あの値段であのパフォーマンスはなかなかだと思いますよ。
…余談ですが、年明けからブログのタイトルが偶然二字で統一されていました。でも偶然なのは3日ぐらいでその路線を崩すのがもったいなくて、後は意図的に二字にしております。いつまで続くのか。さすがに一年はもたないと思いますけどね。

2011年1月5日水曜日

神仏

一昨日「教科書では教えない日本の謎」という特番をやっていました。
その中でもメインで扱われていたテーマが「何故日本では、神と仏の両方を祀るのか」です。そもそも古来の日本では自然を崇拝し、それぞれに宿る神を信仰しており、そこへ外国の新興宗教としてもたらされたのが仏教なのであります。その広め方が実にしたたかというか、時の権力者が天皇中心の政治体系と仏教の体系・教えをなぞらわせて、巧みに政治へ盛り込もうとしたわけです。奇しくも当時の日本は怨念や亡霊に誰もが恐れおののく時代であり、自然崇拝での神様はおぼろげな存在だったのに対し、仏像や観音像など信仰対象が具現化している仏教信仰は言わばうってつけだったようですね。
明治維新になってキリシタンなどへの宗教弾圧も無くなり、政治と仏教が完全に切り離されたものの、その信仰だけが世に残る形で、神道と仏教が混在した今の姿があるということですね。救われたいすがりたいという当時の民の純粋な心を思うと何だか複雑な気持ちになりますね。
もし、解釈とかが微妙に違っていたらごめんなさい。

2011年1月4日火曜日

友達

今日はニンテンドーDSで人気のゲーム、レイトン教授シリーズの話です。
すでに本作は四部まであり、新作はDSの後継機種「3DS」で出されるとのことです。そんなレイトンシリーズですが、本作はパズルゲームでありながらストーリーが確立されていて、時々出てくるムービーシーンでは、アニメ化されたキャラクターがゲームを演出してくれます。声優は主人公レイトン教授を大泉洋が、弟子のルーク少年を堀北真希が担当しています。昨年は映画化もされましたがアニメありきのゲームなので、まさにうってつけの作品ですね。
さて、アッコにおまかせなどでもちょいちょい「レイトン教授」の話題が出てきますが、どんなストーリーなのか。かいつまんでお話ししますと、考古学者にして謎好きのレイトン教授が、弟子のルーク少年を引き連れて、謎解きの冒険に出掛ける、といった内容です。で、映画の中でもそうなのですが、ルークは勝手に弟子を気取っていますが、レイトンはそのへんの話になるとお茶を濁したように誤魔化すんですよね。弟子としての認識はもっていない様子。でもゲーム作品を通じて分かってくるんですよ。「私とルークはこれからもずっと友達だよ」そんなセリフがあります。師弟の関係じゃなくてかけがえのない友のひとりってことですよね。ともすれば人というのはチヤホヤされたりするうちに、自分が一番偉い人間だと勘違いしてしまうモノです。それをこのレイトン教授という目がテンのキャラクターは、なんて真摯な男なんだとゲームながらに感動しましたね。さすが決め台詞が「当然だ。英国紳士としてはね。」というだけのことはあります。
この作品がゆくゆくはルパン三世みたいに、国民に愛されるアニメになってくれたらと思います。

2011年1月3日月曜日

初夢

今年の初夢はアクションも何もなく、平々凡々なごく普通のモノでした。
ただ内容が飛び飛びで、まとまりが全くありません。大きく分けて次の3つです。

①となりの病棟にいる同級生に、実は2人の子供がいた という夢。

②病棟で映画会が催され、ジブリ系のアニメが上映された夢。クライマックスで大魔王がものすごい攻撃を仕掛けるも、光に包まれたかと思った瞬間、大魔王は訳も分からずやられてしまった。不服に感じていたら、ゲーム好きの病棟職員の人が「あれはマホカンタの呪文をかけていたんだよ」と得意げに話していた。

※マホカンタとはドラクエに出てくる呪文のひとつで、あらゆる呪文を跳ね返す魔法のカウンター攻撃である。

③以前勤めていた看護師さんに、ベッドへ乗せてもらう夢。

全部病棟がらみの夢ですね。でも普通の方がいいですよ。あまり新年からイイ夢見たら、運を使い果たしてしまいそうだから。もしガッキーが出てしまった日には、未曾有の厄災が私を襲うことでしょう笑。

2011年1月2日日曜日

共感

JINの7話目まで見終わりました。
ストーリーは、恋人を植物状態にしてしまった脳外科医・南方仁が、幕末の江戸へタイムスリップするという奇想天外なものです。仁は素性を隠しながらその時代にはあり得ない、現代医学を駆使して人々の命を救います。
さて、そんなJINでありますが、今日取り上げるのは、仁が居候している橘家の若き武家当主、京太郎です。彼は軍艦奉行・勝燐太郎に師事し弟子として秘書的な仕事を担う傍ら、仁の身辺警護を任されるのですが、仁の人並み外れた医術に触れ、自分の存在が小さく見えてきます。追い打ちをかけるように同じく勝に師事する坂本龍馬のカリスマ性、行動力に圧倒され、すっかり自信を失ってしまうのです。
…何だか自分と重なって、泣けてきてしまいましたね。私も似たような経験があるからです。でも散々悩みましたがやっぱり違うんですよね、器が。大きさもさることながら色形がそれぞれまるっきり違うことに気づいたんです。自分じゃなければ出来ない何かがあるんじゃないかと。そしてある人に言われた一言に救われました。
「あなたは、人を“助ける”人間だ」と。助けるなんてたいそうなことをしてるつもりはないですが、相手を言い負かしたり優位に立つことよりは、多少損をしても歩み寄りたい気持ちの方が強いかもしれません。ただ、中には距離を詰められることが嫌な人、反骨主義がステータスだという人もいることも最近は学び、距離感を持つことも優しさのひとつなんだと思うようになりました。…周りの目にはどう映っているかわかりませんけどね。

2011年1月1日土曜日

迎春

新年あけましておめでとうございます。

私にとって昨年は何かと波乱の年でしたが、今年はどんなことが待っているでしょうか。わかっているのは7月24日にテレビが地デジへ完全移行することと、変わらない私がいつでもここにいるということです。今年も私なりのペースで、またくだらない話を綴って行きたいと思いますので、よろしくお願いします。
…今年の初夢は昨年のやつに勝てるでしょうかね。昨年は「腹違いの妹が木村カエラだった」夢でした。