長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2011年1月13日木曜日

意地

例えば、老舗の名料亭があったとします。しかし師匠のやり方と反りが合わず、弟子は独り立ちすることにしました。ケンカ別れとなってしまい、師匠はかんかんに怒っていてのれん分けはもちろんのこと、料理人としての存在すら認めようとしません。事実上の破門です。この料亭は料理界では幅をかなり効かせており、弟子にとって障壁になることは免れません。
さて、この場合、彼の板前としての料理は、世にとって全く意味もなく役にも立たないものになってしまうのでしょうか。当然、お墨付きではなく知る人にとっては邪道なわけですが、弟子の腕は確かで、曲がりなりにも師匠の下で培った経験と技術は本家本元のそれと比べても遜色ありません。

この議論では、老舗としての師匠のプライドと、一料理人としての弟子のプライドが激しくぶつかっていますが、肝心なところが抜けています。その中にはまず「人」が入っていない。そして何より根底に無ければならないはずの「料理」そのものが置き去りにされていると思います。美味しい料理と食べる人の笑顔がもっとも大切なことですよね。そこに渦巻く変な派閥争いみたいなことが、私は嫌気がさしてしまいます。手に手を取って歩み寄ることは出来ないんでしょうか。

実はそれに近いようなことがあって、昨日は何も手がつかなくなってしまいました。散々悩んでいましたが、どちらかの考えに身を置きながらも、双方の賛否をよく知った上で客観視することが必要だと感じました。自分がどういう立場にいてどう思われているのかも見失ってはいけないと思います。それがブレーキが効かなくなったときの抑止力となり、関係を悪化させないことにもつながると思いたいですね。あくまで願望です。
今夜はぐっすり眠れるでしょうか。

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