長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2009年11月30日月曜日

身長57m、体重550t。

しばらくGyaoギャオ動画にはまってるんですが、今は昔のアニメが第一話だけですが見れるようになっており、すっかり昔を懐かしんでいます。コンバトラーVやボルティスVなどのロボットアニメは、昔は心躍らせながら見たものですが、大人になるとまた違った視線で楽しめますね。

まず衝撃的だったのが、ロボットに乗り込む隊員は総理大臣からの特命を受けていて、防衛のためならいかなる法律も無視してかまわない、何とも無茶な特権を持っています。
それと最新鋭の基地なのに、機器があまりにもアナログすぎる点です。なんだかパネルをピカピカさせてたらすごいコンピュータなんだというのが黒電話時代の常識だった様ですね。防衛大臣が赤い受話器で「我が隊は全滅だ、助けてくれ」と博士に連絡するのですが、そんな軍事力じゃエイリアンはおろかテポドンだって打ち落とせません。

もう一つのツッコミどころは、総司令室の突入口からマシンに搭乗するのですが、そこまでのルートとプロセスがあまりにも遠すぎる! まずダストみたいなところを20~30m飛び降り、その先にある座席に乗るんですがどんなに優れたクッションか知りませんが、尾てい骨に致命的なダメージを受けることは必至です。で、長ーいレール移動の後、それぞれのマシンにやっと搭乗です。しかしマシン単体では敵に全く歯が立たず、結局五体合体するはめに。ならフル装備で最初から望むべきです。一刻もはやく!! もしも消防隊員が消防車を使わず、ちまちま消化器でやってたら、被害は拡がり助かる命も死なせてしまいます!!

さんざん文句をいいましたが、それでもやっぱりおもしろいです。「レッツ・コンバイン!!」 友達と叫んだのを思い出します… 悪は滅び、正義は勝つのです!!

2009年11月28日土曜日

謎はすべて解けた!!

以前、クラコーソーセージというものについて話題にしましたが、ついにその謎が解けましたのでお伝えします。まずはそのおさらいから。母は昔お弁当によくサラミを入れてくれ、「クラコーソーセージ入れたからね」と口にしていました。しかしその意味は母本人すら知りませんでした。私はヤガイサラミの工場が山形は蔵王にあることに着目し、蔵王をくらおうと読み間違えそれが変化してクラコーになったんだと勝手に結論づけていました。

実はクラコーじゃなくて、「クラコウ」でした。サラミに代表されるドライソーセージ類はその乾燥時間や製法、香辛料の違いなどで、サラミ、カルパス、クラコウ などに分類されるそうです。

①サラミ
世界各地で作られる一般的なドライソーセージ。語源はイタリア語のsalare(塩)から。

②カルパス
黒こしょうやガーリックで味つけされた、セミドライソーセージの一種。

③クラコウ
ドイツでよく作られるポーランド風のセミドライソーセージ。

なお、日本では牛肉・豚肉のみで作られたドライソーセージをすべてサラミと呼ぶそうです。(でもヤガイサラミには馬肉とマトンが入っていましたが…)
ちなみに、調べたサイトは食肉業者が見るようなところでした。
Windows7のパソコンを新しく購入し、セットアップを友達に手伝ってもらったりして何とか落ち着いたのでブログを更新してみましたが、その第一声がクラコウソーセージの話題なんぞで申し訳ないです…

2009年11月23日月曜日

探し物はなんですか ♪陽水

11月20~22日までフジテレビ開局50周年の特別番組で“日本人の忘れものを探そう”をテーマに、視聴者や芸能人から作文を広く募集していました。その中で、便利な世の中になった変わりに「待つ」ことが無くなり、その時のドキドキ感とか辛さ、達成できたときの喜びだとかも失われてしまった、というのがありました。
私も古い時代の良さが消えたことを残念に思いますが、人が便利さを追求した上で現在の技術があるわけで、今さら携帯電話は手放せないと思います。では、現代人はかつての気持ちを取り戻すことは出来ないのか?
私はそうは思いません。どんなに便利で快適になろうとも、そこに人の真心がある限り、現代日本もまだまだ捨てたもんじゃないと思います。
恋文も絵文字のラブメールも、愛情たっぷりコトコトスープも愛妻スピード手間いらずレシピも、乗り物が遅くても速くても、人をおもいやる気持ちに差なんてないはずです。
…ペンからマウスに持ち替えても、私は愛の言葉を綴り続けます!!笑

2009年11月20日金曜日

フルボッコ伝説

私が今の病棟になる前、女の子姉妹が入院していました。お姉ちゃんは妹思いで面倒見が良く、光GENJIの振り付けを全てマスターするなど、いわゆるその世代の女の子でした。一方、妹ちゃんのほうは、病棟生活が短いせいか時々理解しがたい行動をとる子でした。例えば、いきなり大声で泣きはじめたと思ったら、「お金を食べちゃった~!!」というので周りを見たら小銭が散らばっていて、お医者さんがまさかとは思うが一応と、レントゲンを撮ってみたら10円玉の影が見つかったりとか、とにかく一般常識を覆してくれました。

で、ある時、その子がパンチンググローブみたいなものを手にはめて、軽くボクサーを気取っていまして、ちょっと遊びにつき合ってあげようと思い、「ちょっとパンチ打ってみて」と私は手をスパーリングの要領でかまえました。イメージでは、「右、はい次、左」的な軽い感じで。するとその子は渾身の力をこめて、パンチの連打を私の全身に浴びせてきたのです。

「ちょ、バシッ ちょっ、ドガッ ま、バシッ って…ドスッ 」
さらにラッシュは続くので、
「ストップーー!!」と叫んだのですが、この戦いにはタオルを投げてくれるセコンドはいない… そもそもルールなんて存在するのか? …いや、ない。妹ちゃんは完全に野獣の目をしていました。そして私は非力に狩られるインパラの様でした… で、とっさに出た言葉は…

「ギ…、ギブアップ!!」

ピタッ 勝利を確信した野獣は、やっとその手を止めたのでした…
こ、これは、プロレスルールだったのか…?
でもこれがストリートファイトだったら、私は死んでいたかもしれません…
ともあれ、そこに1人の女格闘家が誕生したことは言うまでもありません。

2009年11月14日土曜日

母と灯油タンクと車

私の母は、かつて台湾で終戦を迎えたという経歴があり、いわゆる激動の日本を生きてきた人であります。そんな母ですが、実は車の免許をもっていました。私が小6の時ですので24年も前の話です。きっと父は同僚が奥さんに送り迎えしてもらうのをうらやましく思ったのかもしれませんね、母を半ば強引に自動車学校に行かせることにしたのですが、運動オンチながらも何とか免許を取得することが出来ました。
はじめは気分も車も乗る気じゃなかった母でしたが、免許取得の日は余程うれしかったみたいで、腕を披露すべく父を乗せてドライブに出かけることになりました。父にしてみたら最終試験みたいなものですので、私と遊びに来ていた従姉はお留守番。
「じゃ、行ってくる」と不安混じりの中にも良い笑顔で母は家を後にしました。従姉と冗談で「いきなりぶつけたらウケるよね」と話していたんですが、その直後

ズドーーーーン!!!!

明らかにどこかへぶつけたであろう轟音が鳴り響きました。普通は心配して飛び出すところですが、あまりにもナイスなタイミングだったので、思わず従姉と二人でゲラゲラ大爆笑してしまいました。で、外に出てみたら、お向かいさん家の灯油タンク(冬が長い北海道ならではの物なんですね)がボッコリ壊れていました…
まあ、事故とはいえ家の近くだし、人を誰も巻き込まなかったことは不幸中の幸いでしたが、母にとっては免許を取った自信もあったでしょうし、自負もあったことでしょう。それが事故により失墜したばかりか息子に笑い声の洗礼を浴びせられたのですから、ダブルパンチだったと思います。
それから数日後、お向かいさんの灯油タンクが新品に変わっていたことは、言うまでもありません。

2009年11月5日木曜日

意外にもテーマは愛…


今日はコアなオタクの話ですので、嫌な方には読むことをおすすめしません。
ついに待望の「北斗の拳」の話題をするときが来ました。北斗の拳は、言わずと知れた世紀末バイオレンス・ドラマです。今回は私が選ぶ「北斗の拳名シーンベストセレクション」をお送りします。

①南斗水鳥拳レイ、散る

ラオウによって死の制裁を与えられたレイ。残り数日の命を、かつて恋人マミヤに奴隷生活を強いた宿敵ユダを倒すために捧げようとする。戦いに勝利するも直後にラオウの拳が発動し、儚くも散っていくレイ。しかしレイの愛の力が、死に行く運命だったマミヤのそれをも変えたのだ。

②山のフドウ、子供たちの想いを背に闘う

かつて鬼と恐れられた男、フドウ。ラオウは初めて自分に恐怖を与えたフドウを倒すことで克服しようとする。生死の勝負ではラオウが勝利したが、フドウの気迫に子供たちの心とケンシロウの姿を見、後ずさりしていたラオウの完全なる敗北だったのだ。

③雲のジュウザ、死してなお闘う

乱世希望の星、南斗最後の将の素性はケンシロウの恋人にしてラオウも想いを抱く、ユリアその人だった。将との対峙はラオウの覇道を揺るぎないものとし、世界が恐怖によって統治されることを意味する。雲のジュウザは守護の星のもと、ラオウを将に近づけぬべく命を賭して闘う。ひいては愛するユリアのために。ラオウの拳により将の素性を探られ、口を割りそうになるも精神力で耐え抜き、何度倒されても、気を失っても、肉体が滅びても、闘志だけで向かっていく姿に感動。

2009年11月2日月曜日

円楽さんありがとう

五代目三遊亭円楽が亡くなりましたね。笑点、円楽、お茶の間 という黄金の三角関係、その一角が崩れてしまったことは、本当に残念でなりません。思えば、笑点は私の成長と共にあったと言っても過言ではありません。昔から日曜の夕飯には必ず笑点がかかっていました。私が幼稚園にあがった時にも笑点。飼い犬のベルが死んだときも笑点。クワガタに明け暮れた日にも笑点。私の成長を笑点は見守ってくれました。これからは弟子の楽太郎さんが円楽を襲名しますし、司会を受け継いだ歌丸さんも円楽さんの想いを胸に、全国のお茶の間を彩っていくことでしょう。…円楽さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

さて、笑点の話題が出たところで、今日はこの話をしたいと思います。私の兄は家族の中でも特に熱烈な笑点ファンでして、笑点メンバーの中では歌丸さんが好きでした。誰からもいじられるキャラクターに加えて、噺家の名分たる風刺を利かせたネタにも余念がない。喜久扇さんの笑いもいいですが、歌丸さんが引き締めることで笑点をより品格のあるものにしているんですね。
そんな歌丸さんが、以前私が入院する町に独演会か何かで来ることがあって、病院の作業療法士さんが見に行くことを知った兄は、手紙を書いて渡してもらうことを考えました。で、全ての講演のあと歌丸さんに「病院の患者さんが歌丸さんの熱烈なファンで、手紙を頼まれた」と手紙を渡してくれたんだそうです。
手紙を読んだ歌丸さんは、会場の中から作業療法士さんを探しだし「その患者さんに【応援してくれてありがとう。病気に負けずに頑張って下さい】とお伝えください。」と告げると、このシールをあげるといって、桂歌丸シールをくれたんだそうです。しかも、二枚笑。普通は来場の人に一枚しかあげてないらしいのですが、それを二枚もくれたんですよ。歌丸さん、優しいじゃありませんか笑。
でも、兄は最大のミスを犯してまいました。なんと手紙の文章を十二分に吟味したにも関わらず、自分の名前を書かなかったのです。途中で恥ずかしくなりあえて名前を書かなかったそうです。…教えておけば大喜利のときにエピソードくらい出たかもしれないのに。徹子の部屋のトークで出たかもしれないのに。サイコロトークでしゃべったかもしれないのに。…しつこいですかね笑 とにかく、つめが甘いところは我が家の血筋のようです…