長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年7月31日土曜日

効果の程は…?

以前ブログで、朝のNHKニュース内でやっている「街角情報室」が面白いと言いましたが、とうとうそこで扱っていた商品をネットで探し当てて、注文しちゃいました。
ビールの泡立てグッズを特集してたときに、あのタヌキに懐かしさを覚える「信楽焼」にヒントを得て作られたという、ビールが泡立ちやすくする飲み口を紹介してました。その名は「ビアスムーザーⅡ」。アルミ缶に取り付けるだけの簡単構造で、洗えば何度でも使えるそうです。ⅡがあるからⅠもあるんでしょうけど、豊国工業というところで販売しています。ロフトや東急ハンズでも手に入るそうで、炭酸ジュースとかにも効果があるそうです。値段は一個735円。一度誰かに使ってもらって、感想を聞いてみることにします。
ちなみに下記の商品写真は楽天市場とリンクされていますが、品薄状態らしく私はメーカーに直接注文しました。

2010年7月30日金曜日

残念な手紙

手紙っていいなと、最近思っています。
声に出して言えないことも手紙だと言えますし、メールと違って即答がもらえないので相手の反応があまり気にならない。何日もメールの返事が来なかったら「何か気に障ったかな」と思ってしまいますが、手紙って腰を据えないとなかなか書けないじゃないですか。「忙しいんだな」で終わるんですよ。
私が年賀状とか懸賞以外ではじめて手紙を書いたのは、確か小6のときでした。先に入院していた兄へ、家から手紙を出しました。そのころは品薄だったファミコンがやっとのことで手に入り、毎日ファミコン三昧でした。何を思ったのか、私は内容の7割がゲームミュージックを文字化したものという、奇行に及んでしまいました。

ピコーン、ピコーン、チャラッチャチャチャッチャチャ

この程度ならかわいいじゃないですか。私は便せんにびっちり二・三枚、これでしたから。人のイイ優しい兄でしたが、きっと途中で見るのをやめたと思います。自分でも覚えてるくだり?は、

あ~~~~~ぷりっ タラータラタラタラタラ ボーンボーンボーン

これですからね。ちなみにエレベーターアクションというゲームですけど、なんのことやら、ですよね。イメージは、スパイがヘリからワイヤーを伸ばし、それをつたってビルに進入。時間はきっちり夜中の三時を回ったところ。わかりますかね?笑
あの頃は幸せだったなぁ…。

2010年7月29日木曜日

乞う絵文字

携帯の人からメールが来るとき、絵文字があったりするんですけど、たいがい〓とかハングル文字みたいのしか映らないので何か良い方法はないかと調べたところ、あるもんですね。それは絵文字メールを表示できるアドオンなるもので、アドオンとは拡張機能のことです。
私はサンダーバード(1号とか2号とかジェットモグラではない)という無料のメールソフトを使っているのですが、プログラム自体もオープンで、知識を持った人が分析して自由に使っていいことになっており、絵文字が表示できないならできるようにしてやる!!と奮起した人がアドオンを開発したのです。
まだ効果は未確認ですが、こういうときってなかなか来ないものですよね。こちらからは相変わらず送れないので、ひたすら待つのみです。

2010年7月28日水曜日

過激派

この度の父の葬儀で気付いたことがあります。
宗派による葬儀の仕方や慣習の違いもさることながら、同じ宗派でも地域や教わった教義によって若干変わってくるみたいですね。私の宗派と地域では、きちんと香典も頂戴しますし香典返しも行います。お花を手向けることをしないのは特徴的ですが、他宗派の方がお花を贈ってくださっても無下にお断りせず祭壇へ飾り故人へ手向けております。故人を偲ぶ気持ちに宗教なんて関係ありません。また、宗教母体へのお布施的なものは一切無く、全て家族と葬儀社との金銭契約にて執り行われています。
これが私の知り得る情報ですが、あまり良くない噂も耳にします。あえてその内容には触れませんが事実かどうかは別としても火のない所に煙は立たないわけで、無視は出来ません。でも私は悔しいです。同じ宗派とはいえ個々は一人一人が違う意思をもつ人間です。教えを都合の良いように解釈して常軌を逸した行動をしたり、幹部だなんだと大威張りしている人もいるようです。しかし中には人のために身を粉にして尽くし、私の母のように自分のことは二の次でいつも家族の幸せと健康を願い、親族・家族の供養のために時には涙を流しながら、毎日毎日手を合わせている敬虔な人間もいるのです。それが私のような不肖者ならまだしも、道を逸脱してしまった人たちと私の母とが同じくくりにされていることになるわけです。こんなに悔しい事ってあるでしょうか?
だから、こう考えることにしています。あの同時多発テロを起こしたアルカイダはイスラム過激派と呼ばれる者達の集団で、聖戦と称して五千人もの死傷者を出した大悪党ですが、中には敬虔なイスラム信徒もいるはずなのに、当時はイスラム教会に石が投げられたり、信徒がいわれのない仕打ちを受けたそうです。それを聞いたときに、道を逸脱してしまった者は「過激派」と考えるようにしようと思いました。開祖もまさか自分の教え子たちが非道な行いをしているなんて夢にも思っていないでしょう。
今日はわけのわからない話になってしまいましたね。ひいてしまったらごめんなさい。

2010年7月27日火曜日

ラストスパート

今日はレクで使うのにプリントアウトしたのですが、一部データがおかしくなっていることに気がつきました。よりによってその部分は全員の成績に関わる重要なところでした。現段階で気付いて本当に良かったです。ただ、印刷したA3の紙6枚はシュレッダー行きとなってしまいました。全然エコじゃないですね。
よく考えたら、来週の木曜日が本番なんですよね。仕事の7割は終わりましたがもうちょっと手を加える必要があります。
というわけで、これからそちらに取りかかることにします。

2010年7月26日月曜日

一部改装

ブログを少しリニューアルしました。
ちょっとデザインを変えたのと、少し遊べるようなパーツを加えました。暇つぶしにどうぞ。
ただ、例によって携帯でご覧の方は変化がないと思います。ごめんなさい。

先日、奇跡体験アンビリバボーで天才書道家・金澤翔子さんのお話をやっていました。翔子さんはダウン症というハンディを持ちながらもお母さんとの猛特訓の末、書道家として開花しました。確か他の番組でもやっていたのでご存じの方もいるんじゃないでしょうか。書道の基本である筆を跳ね上げる動作も、翔子さんに「あがる」という概念が無いために、お母さんが一緒に坂を上がったり下がったりして身体に覚えさせたエピソードがあったんですけど、言うほど簡単なことではないと思うんですよ。番組の作りもあると思いますが、子供だったら絶対に親へ反発したり、書道に恨みさえ覚えるところを、むしろ何かを達成する度に「お母さん、ありがとうございました。」と嫌がるそぶりは全然見せない。書道と娘に心血を注ぐ以上に、たっぷりの愛情で翔子さんを包んであげたんでしょうね。
一番心に響いたところは、亡くなったお父さんに対する翔子さんの受け入れ方です。「お父様は影になりました。いつでも一緒です」天国という目に見えない心の中の世界に行ったとは言わずに、いつでもそばにいることを教えるのに身体から決して離れることのない「影」を表現に選んだ、お母さんの知恵と想いに感動しましたね。それをすんなりカメラの前で言える翔子さんもすごい。何度も何度も教わったんだろうな、そんなところも私には見えました。
人の死はなかなか受け入れられるものではありませんが、年齢とか物わかりなんて全然関係ないんですね。翔子さんの言葉に勇気づけられた思いです。

2010年7月25日日曜日

素直なキミでいて

最近、マヨネーズが最強のアイテムになりつつあります。
特に朝食で活躍し、味付けのりの時はご飯に散らしてマヨ醤油でいただきます。ツナ缶に醤油が私のところでは定番ですがもちろんマヨの出番です。さすがにマヨ丼はやりませんけど、やりそうな勢いはあるかも。
ちなみにたこ焼きにマヨは私的には無しです。せっかくのカリふわ感をマヨが邪魔しちゃうんですよ。あわないのといえば、納豆。バター醤油納豆ご飯をやる私なので多少のくどさには自信がありますが、マヨ納豆はダメでしたね。
きゅうりにマヨネーズをつけて、ボリボリやりたいです。

2010年7月24日土曜日

まだ自分の方がマシかな

父の経緯を改めてゆっくり聞いたら、少々違っていたので訂正しました。
また父のことと絡むと思いますが、金スマのスペシャルで後藤真希のことを取り上げていたんですよね。お母さんが1月に転落して亡くなったことは知っていたのですが、お父さんも崖からの転落事故で亡くなっていたのは知りませんでした。両親とも転落なんて不幸にも程があります。私の父も急とはいえ、ある程度の覚悟の上でのことでしたが、つい何分か前にピンピンしていた人の突然の別れなんて、想像を絶する悲しみですよね。しかも芸能人は常に人の目にさらされるわけで、人前では気丈に振る舞わなければならない。そう思ったら自分のほうが少しはマシなんじゃないかと思いました。
当然、後藤真希もお父さんからもお母さんからも、自分に残してくれるメッセージは聞けなかったと思うんです。それもそのはずで、当の本人も自分が死ぬとは夢にも思ってないですからね。いや、死んだことにさえ気付いてないでしょう。だから、どんな状況にあっても人は「万が一」のことを想定しておく必要があると思います。私は今まで自分の死んだ時とかその後のことを考えるのは、ちょっと前向きじゃないなと思い避けてきましたが、もしも生前から人に願いを託していたら、死後のことさえシナリオに描けるようになります。それはとても素敵なことだと今は思います。
私は自分の死を不幸で惨めなものにしたくない。与えられた運命に真っ向から挑み、イイ人生だったねと誰もに褒め称えてほしいのです。私の行く末は神のみぞ知る。神様のきまぐれが起きる前に、私が思い描くシナリオを世に残しておきたい。そんなことを常々思うようになり、実行しようと思案しております。
残された人の心の傷を少しでも癒してあげたい。そんな風にも思っています。

2010年7月23日金曜日

少し整理がついたので…

もう何日も空けるわけにはいかないので、今日から始動したいと思います。
実は暗い話だからとブログでは避けてきたことがあります。かねてから父は肺がんを患い、入院していたのですが、20日に容態が急変し母が泊まり込みで看病することになりました。日が空けて21日の朝には口が全く聞けず昏睡状態に陥り「もう午後までもつかどうか」と言われました。そして、14時頃、静かに息を引き取りました。75歳でした。
お医者さんは元々肺がんと睨んでいたのですが、検査の結果正式に診断されたのは2か月前。しかし、高齢のため手術や強い抗がん剤は使えず、がんが広範囲のため放射線治療も望めず、経過を見守るほかない様な状況でした。その後しばらくして急に父の様子に異変が生じます。足がガクガク震えて立てなくなり手助けがないと起き上がることさえ出来なくなりました。
もちろん入院したわけですが、意識も混濁していたみたいで自分が入院したこともわからなかったそうです。リハビリをするもつかまり立ちで歩くのが精一杯でした。母は歩けるまでに回復したら家に連れて帰って、がんが悪化するまでの間、介護保険をつかって面倒を見るつもりでした。お医者さんも明言はしないまでも言葉の端々からシグナルは出していたんですよね。「今のうちに会いたい人がいたら会っておいた方がいい」、札幌のホスピスを紹介するとも言われました。父の様子も全然歩けるようにならず、認知症のような言動もあり、ほとんど口も聞かなくなりました。それらを私なりに総合的に考えてもう長くはないのかなと半分覚悟していましたが、こうも急とは思いませんでした。
死に目にも会えず、感動的なエピソードも父からの最期のメッセージもなく、父は煙が消えるようにスッと逝ってしまいました。肺がん特有の苦しさもなく草木が朽ちていくように逝ったことだけが家族の唯一の救いです。告別式も終わり、従姉妹が送ってくれた仏壇と父の遺影を写したメールを見たとき、もう父は旅立ったんだなとひとつ心に区切りが付いた感じがしました。
父は怒りっぽくてわがままで、人様に語るような名言は残してくれませんでしたが、父の足跡と大きな背中を思い出し、その断片を寄せ集めて、父という偉大な存在を私の胸に刻みたいと思います。
長々とブログに付き合ってくださりありがとうございました。

2010年7月21日水曜日

お休みします

しばらくブログお休みします。2,3日後にまた再開したいと思います。

2010年7月20日火曜日

松岡修造よりあつい

全国的にやっと梅雨が明けたと思いきや、この暑さはなんですか!
私の部屋の温度は28.6度。前橋では、なんとその10度増しの38度まであがるとニュースで言ってました。北海道でも比較的涼しい地域にしか居たことがないので、全く想像もつきません。両親とも夏が暑い地域にいたので、暑さに対する耐性があるはずなんですが、二人はまったくもって暑さに弱い。当然私にも暑さに対するDNAはありません。父は島根県、母は南国台湾で生まれたのにも関わらずです。「自分たちが暑さに耐えるのが精一杯でとても介護なんてしてられない。」そんなことから随分前から私は夏場に帰省することを止めにしました。まあ確かにうちの家族は私を含めガタイが大きいので、トドが三匹寝そべってオゥオゥやってる感じになっちゃいますしね。それを考えたらナイスな判断だったと思います。
38度ってどんな感じなんでしょうか。微熱のある「子泣きじじぃ」がおぶさってくるようなことでしょうか?(ちょっと違うかな…?)

2010年7月19日月曜日

あぶなかった

ふぅー。危うくブログ更新を忘れるところでした。
現在レクの準備を着々と進めておりまして、相変わらず一度に一つのことしか出来ない私は、てんてこまいです。疲れます。疲れますがスッキリしてます。充実感で疲労も吹き飛んでるだけかもしれませんので、ちょっとペースダウンするように努力してみます。夏場はだまってても疲れます。まだまだ夏は長いので、こんなところでへばるわけにはいきません。そうそう、木曜日には町内外出の予定ですので体力温存しないと。
そういうことで、今日は閉店しますね。

2010年7月18日日曜日

スタジオぬめり

ハウルの動く城を観ました。宮崎駿はどうしてグニュグニュの表現をよく使うんでしょうか。幼い頃のトラウマか逆にそうとう神秘的な体験をしたんでしょうね。ポニョにしても、もののけ姫にしても、ゼリー状のプルンとした液体?物体?が必ず登場しますよね。確かに、豊かに地球を讃えてきた母なる海、すなわち“水”は、生命の源であり、最も自然な表現なのかもしれません。特にポニョを観たらそんなメッセージが見え隠れしてる気がします。
目玉になる声優、グニュグニュ、生命の尊さとその裏にある醜さと残酷さ。これがジブリだと私は思います。それにしても子供は子供で何度も観たがるし、大人が観ても内容に深みがあって感心させてくれる。また、お年寄りも、ジブリ作品で所狭しと動き回るお年寄りをみたら元気が沸くと思います。老若男女を全てカバーする、まさにモンスターですね。…もしかしたら宮崎駿と握手したら、ヌメッとするかもしれませんね。

2010年7月17日土曜日

信じたくない

以前、私の妄想劇場で貴乃花親方のことを書かせてもらいましたが、彼はかつて角界を空前の若貴ブームで沸かせた人間的にも立派な平成の大横綱であります。同世代ながら尊敬に値する人物です。必ずや数々のトラブルで揺れる大相撲協会を立て直し、人気復調の足がかりとなってくれると密かに期待しておりました。
が、貴乃花親方に暴力団関係者との交際があるらしき報道がされました。詳しいことは分かりませんが、そこに悪しき癒着があるんだとしたら琴光喜への擁護も違った意味合いになってきますよね。事への後ろめたさと当事者視点での物言いともとれますし、琴光喜の処分を巡る進言に対する責任から退職届を出した親方でしたが、自身に捜査のメスが入る前に依願退職をし、厳しい処分から免れようと仕組んだのかもしれません。
考え出せばキリがありませんが、とにかく事実を明らかにして自身の相撲道に恥じぬ行いをして欲しいと願います。正直なところ未だに半信半疑です。

2010年7月16日金曜日

おぉ、髪よ!!

今日、明日と隣接の養護学校で学校祭が行われているのは、以前お伝えした通りです。今日は大きな用事があって見にいけませんでしたが、明日こそはと思っております。
後輩といえば、私は20歳くらいのとき、10も歳が違う子供達と同じ部屋で過ごしていました。それも以前ブログで話題にしたかと思います。私も若かったし元気があったので、注意なのかケンカなのかよくわからない感じのやかましい部屋でした。でも一緒に遊んだり、私が外出の際はお菓子とか惣菜とかお土産をみんなで分け合ったりと、骨も折れましたが(骨折の意味ではない)大家族のような愛のあふれる生活でした。今では病棟も四人部屋になり、彼らも大人になってワンパクのワの字も無くなってしまいましたが、その腐れ縁から今でも交流があります。私は慕ってくれていると勝手に踏んでますが単にいじられてるだけかもしれません。ただ昔、シャイで素直じゃない一人の子が、風邪が酷くて戻しそうになってもうダメだと思ったとき、私に救いの手を求めてくれたことがあり、信頼してくれてるんだなと再認識しました。
私は人へ親身になっていたら必ず自分へ返ってくると信じていましたが、改めて確信できましたね。
しかし彼らは「薄くなった」と死の引導を与えようとしてきます…おぉ、髪よ!!

2010年7月15日木曜日

純度100%

mixiに登録してはいたのですが、全く中身をいじってませんで最初に招待してくれた人が唯一のマイミク(登録した友達)でした。この度マイミクの新しいお誘いがあったので、せっかくなんで色々手を加えることにしました。
歳を重ねると自分という個性が愛おしくなるとでも言いましょうか、昔は自分の写真や映像、ひいては性格も毛嫌いしていたのに、今ではこういう私がいてもいいんだなと思えるようになりました。
「36歳には見えない」
素直に喜べませんでした。でも若く見られるに超したことはないし、私という存在は世界に一人しかいない尊い命なのです。何以下でも以上でもない、純度100%のオリジナル・エカピリオです!!
ただし、人として恥ずべきことをしたのであれば叱咤激励、心してお受けします。
昭和48年生まれ、不肖エカピリオ。オイルショックなめんなよ!!

2010年7月14日水曜日

平凡の神

今日は病院の指導室が企画するビデオクイズがありました。
これは毎年夏冬に行われる恒例行事で、きちんと数えていませんが10年近くは、やっているんじゃないでしょうかね。三択クイズなんですけど自分の回答にチケットをかけていくギャンブル要素があり、我々の楽しみのひとつであります。(巷を騒がせてる野球なんとかとは違う健全なものです)
ボーナス問題は、かけたチケットの獲得点が倍になるため、皆そこへ注ぎ込んで高得点を狙うのですが、そこに限って私は当たった試しがありません。
どうやら私には貧乏神ならぬ平凡神がついているみたいで、最高頑張っても七割そこそこの中途半端な成績で、かといってお笑い芸人がおいしいと思うような大敗を喫するわけでもなく、あと一歩のところでヌルッとかわされる、ある意味「神がかった」平凡さなのです。「あいつの裏にかけたら当たる」そんな定説が出来たらどうしようとか考えてしまう、今日この頃です…

2010年7月13日火曜日

はめられた!

今週の金・土と隣接の養護学校で学校祭が行われます。私の時は木・金開催でしかも新校舎になる前だったので、雰囲気が全然違います。でも演劇や演奏などの発表があるあたりはしっかり踏襲してますけどね。
そういえば中学部の頃、劇で「幕が上がるまで」というのをやったことがあります。これは学校で行う演目としてはかなりの王道らしく、ようは「劇の本番までの出来事を劇にした」作品です。主人公の「僕」が劇の主役に大抜擢され、不安と戸惑いの中で大団円に向けて頑張る、そんな感じですね。
主人公が主役になるのは、いわばキツネにつままれたようなことなんですけど、実は主人公「僕」は私が演じ、その選ばれ方も私が風邪で欠席してる時に、周りに勝手にキャスティングされたのでした。

これじゃあ、おれと主人公の状況は全く同じじゃないか!

まさにそういうことです。しかも主人公なのにあまりセリフが無かったように記憶してます。花のない地味な主役の上に、不本意なキャスティング。そんな素晴らしい条件で向かった劇でしたが、悲しいかな、ほとんど記憶に無いんですよね。私の記憶の中でさえ目立たない思い出だった、ということですよね。
今回参加する人たちには、何十年経っても語れるような思い出をつくってもらいたいですね。

2010年7月12日月曜日

秒殺ウルトラマン

最近、小一時間ほど時間が空けば、もっぱらYouTubeかニコニコ動画で、古いファミコンソフトのプレイ動画をチェックしてます。その中でも好きなのがタイムアタック、つまりいかに短時間で解けるかを極めたものです。ニコニコでは「のんびり実況プレイ」と銘打って、一つのゲームを何十時間もダラダラと、しかもマイクに向かってプレイヤーが一人でブツブツ呟いているのが多くあるんですが、私の好みではありません。バリバリ動きの速いゲームをやっていた昔を懐かしみ、思うように遊べない今の自分に成り代わってもらっているので、身勝手なことですが昔の私よりへたれなプレイをされても、ましてや時間をかけて見るなんてことはできないのです。
インターネットをやり始めてからというもの、情報が瞬時に得られることになれてしまって、結果をすぐに求めてしまう傾向が私にはあります。便利な世の中の代償、それが物事や時間を「待てない」精神性なのかもしれませんね。私はまさにその最たる者です。…極端な話、カップ麺の3~4分でさえ待ってられません。ウルトラマンも最初からフルパワーで怪獣と戦えばいいのに。秒殺ねらいで。

2010年7月11日日曜日

目標を整理する

前にエチカの鏡だったかで、目標をスケジュールに書き入れよう。というのがありまして、何月何日までにこれを実現させるんだと強い思いを持ち、それに向かっていけば夢に近づく、そんな感じのことを言ってました。私も何月何日などのスケジュールは明記出来ないまでも、これから行いたいことを列挙するだけでも全然違うんじゃないかと思います。計画が少し大きすぎるので、その計画を実現させるための細かな内容を整理しようかと思っています。頭の中であれこれ思案しても結局ぼんやり悩んでしまって、さっぱり結論に結びつかないんですよね。レクのほうも先が見えてきたので、ちょっと頑張ってみますね。

2010年7月10日土曜日

頭をつかいすぎて…

ここ何日か、来月のはじめに行われるレクのことで色々と頭をつかっております。
昔は漠然とやりたいことだけが次々浮かんできたのに、入院年数がこうも長いと私も様々な場面を目の当たりにしてきており、自由な発想よりも実働的なところばかり見てしまうんですよね。でも人へ援助を求めるということは範囲も限界もありますし、自分の手で作業をする以上に緻密でなければならないわけで、これが私たちの紛れもない現実なのです。
与えられた環境の中で、どう楽しむか。それは一人一人の人生と同じです。高級料亭に千円持って行っても門前払いですよね。だったらラーメンでも食べるしかない。その代わりに、旨くてボリュームがあって誰もがよだれをたらすようなラーメンを食べればイイんです。…ウチのラーメンは、まずくて有名ですけどね笑。

2010年7月9日金曜日

桃太郎かっ!!

久々に桃を食べました。先日、さくらんぼでもテンションがあがりましたが、桃もイイですね。止められなかったら私は無限に桃を食べられるかもしれません。…桃といえば、こんなことがありました。
夏季帰省中に親戚から桃をもらいました。しかも袋でごそごそっという感じじゃなくて、お中元用の立派な化粧箱みたいのに入ったやつです。味も最高なものでした。確か帰省期間が残りわずかの時にいただいたので、私はギリギリまで食べるべく、病院に戻る日の朝に桃を食べ、車中でも桃を食べ、そして病棟の食事にも桃がついたのでまたそれ食べ…と一日中桃を食べていたら、案の定、おなかがピーピーになってしまいました…
考えてみたら、桃ってほとんど水分ですもんね。しかも食物繊維も豊富そう。そりゃピーピーにもなるってもんですね。何にせよ食べ過ぎたら悪いに決まってるのは間違いありませんが、あの時の桃好きぶりは、おれって前世は桃太郎だったんじゃないか?!と錯覚したほどでした。桃…。

2010年7月8日木曜日

愛のある選択

「犬のおまわりさん」というヒューマンドラマを見ました。
これは悪性リンパ腫の病魔と闘った女性の話で、本人のブログをまとめた同タイトルの本をもとに再現されたものです。第二子妊娠と同時にガンの存在を知ったため、母性のために出産するか、母体の命を優先するかの選択を余儀なくされます。結果、前者をとるのですが、ガンばかりは治るのかどうか未知なわけで、母体優先だからといって出産の選択を切ることは、母親の命の綱をも切りかねませんから、究極の更に上を行く選択が求められたんですよね。一人がいるからイイじゃないか、なんて話もあるでしょうけどそんなことはドラマには微塵も出てきませんでした。もし自分が死んだら父親と娘の生活が待っています。その時、一人でも多く家族が居た方が辛さも寂しさも乗り越えられるだろうし、自分が命を賭して産んだ子に全てのことを託したい、そんな想いもあるんでしょうね。残される家族としては辛いけど、家族の行く末を考えたとき、この選択は最も優しくて愛のあるものだったんじゃないかと思いますね。
総じて感じたことは、映画などとは違って抑揚がないことです。起承転結みたいな妙なシナリオ感がないというか。良いのか悪いのかわかりませんけど、人の命って儚いな、そしてあっけないなと思いましたね。ドラマチックな別れなんてそうそう出来ないですよね。私が兄と最後に交わした言葉は、他愛もない日常会話でした。内容も思い出せません。だから死に目に会えなかったご主人は、とってもリアル感がありました。
私には子供はいませんし、今のところ?結婚予定もありません。ただお世話になった人たちに何かしらの思いを残したい。私が生きていたことをこの世に刻みたいですね。色々考えてはいるんですよ、これでも。

2010年7月7日水曜日

イイですね~

ワンピースってイイですね。
ワンピースって洋服じゃないですよ。漫画ONE PIECEのことです。私にはまだまだそんな趣味はありませんので。(まだまだ?…いいえ、これからもです!)
アニメや映画の様に映像と音楽の要素が合わさったものでは感動したことはありますが、漫画本は視覚だけなので一歩引いて見ることができるし差ほど感情移入もありません。ただ、今回漫画ONE PIECEにググーーッと来るものがありました。
ネタバレかもしれないのですが、主人公ルフィの兄が死んだんですけど、ルフィとは血縁関係はないがそれ以上の絆で結ばれた無二の兄弟なので、未だ悲しみから立ち直れずにいます。ルフィは海賊王になるという夢のために命をかけているわけですが、両刃の剣というか純粋さ故に弱い面も奥底にもっているんですよ。最初は身内の死だから腐ってもしょうがないと思って周りも甘くしているのですが、あまりにもメソメソしているので、海賊の大先輩から渇を入れられるんですよね。「失った物の数だけ数えるな、今おまえに残ってる物はないのか!」と。
そして、ルフィは「おれには仲間がいる」と大切な存在に気付くのです。どうしても人は塞ぎ込むとマイナス面しか考えないですからね。人間は弱い。だからこそ強くなりたいと願う。自分の弱さを理解したルフィは本当の強さを得たんじゃないかと思います。これからのワンピースが、ルフィの活躍が楽しみです。

2010年7月6日火曜日

きっかけ

昨日も言いましたけど、「きっかけ」って大事ですよね。
たまたま、メールで一斉配信する用件があって送ったのですが、しばらく連絡を取り合って無くて、もうダメだろうなと思っていたところからの返信があり、出してみるもんだなと思いました。言い訳になっちゃいますけど、普段、連絡をとりたい気持ちもあるんですけど、病院って生活リズムがきちんとしている分、変化がないんですよね。先週の日曜日と先々週の日曜日に何の違いがあったか、といわれたら何も思い出せません。だから、何を話題にすればいいかわからなくなってしまうんです。例えば、今朝のおかずは焼き海苔でした、とか言われても相手のほうも返しようがないですよね。
まあ、今回の配信がきっかけになってくれたので、このチャンスを大切にしたいと思います。

2010年7月5日月曜日

ちゃんちゃん。

病棟へカセットコンロを持ち込み目の前で調理してくれる「病棟調理」は私の楽しみのひとつですが、昔は今よりも規制が緩く、それ以外にも病棟で調理してもらえる機会がありました。
特に思い出深いのは冬季帰省で在棟者が少ないときに、看護師さんたちが家に帰れなくて寂しいだろうと、病棟でちゃんちゃん焼きを作ってくれたことです。道外の方のために説明しますと、ちゃんちゃん焼きは、鮭と野菜を鉄板で焼いたもので、味噌バターを塗るのが最大の特徴です。うどんとかも一緒に炒める地域もあるみたいで私が食べたのはそれでした。
普段はコワモテの看護師さんがボソッと「鮭の皮から先に焼くんだぞ」と男ながらに鉄板を仕切ってくれて、以外にマメな一面が見れたり、いつも職員は私たちに食べさせるだけですけど「ちょっとしょっぱかったかな?」と患者も職員も一緒になって、和気あいあいの雰囲気で食べたあの味は、今でも忘れられません。二度も三度もおかわりしてお腹が苦しくなったものです。
人間は社会の中で対人関係を築くために、仕事とは別の形でコミュニケーションをとる手段を持っています。それは、飲みに行ったり一緒に食事をとったりすることです。病棟生活も一つの社会です。患者同士の人間関係もさることながら、職員との関係も築いていかなければなりません。すれ違いやいざこざは避けて通れないことですが、そこにお茶の一杯でもあってお互いに和める瞬間があったらどうでしょうか。それがふとしたきっかけになってわだかまりも少しは解けるんじゃないでしょうか。流石に病院でアルコールはありえませんけど、「きっかけ」は何か必要なんじゃないかと思います。理想も理想、大理想ですけどね。

2010年7月4日日曜日

神の子らが…

こうもジメジメしてると、イライラしてしょうがないですね。
さて、ワールドカップも日本が敗退した後、どうも観戦に身が入らないのは私だけではないと思いますが、私が優勝と睨んでいたアルゼンチンが、まさかの大敗を喫してしまいました。4-0ってどういうことでしょうか…。それを思うと日本の善戦ぶりって、ものすごい評価じゃないですかね。強国でさえあぐらをかいていられない。サッカー、とりわけワールドカップの魅力ってそんなところにあるんでしょうか。
にわか仕込みの私のセリフじゃなかったですね笑。

2010年7月3日土曜日

端末機四

ターミネーター4を観ました。
あまり内容を書くとネタバレしてしまうので詳しくは言えませんが、前作3は評判が良くなかったですけど今回は私的には面白かったです。
ターミネーターは、高性能コンピュータ・スカイネットと人類の戦いを描いたSF作品です。スカイネットによって核攻撃を受けた人類は、指導者ジョン・コナーをリーダーに抵抗軍を組織し対抗していたが、コナーによって更に劣勢に立たされることを危惧したスカイネットは、コナーの母親あるいは幼少のコナーを抹殺しようと過去へマシンを送り込む、これが基本になって1~3までは現代で死闘が繰り広げられたわけですが、4ではスカイネットに核攻撃を受けた後の世界が舞台になっています。追っ手から逃げる受動的な戦いから、敵の殲滅に向けて戦う能動的なものへと変わったことが面白く感じる理由かもしれません。ターミネーター3は二番煎じならぬ三番煎じなので完全に飽きがきてしまったのでしょう。
4とターミネーターの外伝であるサラ・コナー・クロニクルズなどをみるに、作品の方向性がより高度になっていくのがわかります。スカイネットもターミネーターも機械ですが、滅びたくない・死にたくないという感情的な思考が生まれた時点で、生命体と言えるんじゃないでしょうか。しかも知的生命体となれば人間と同等の存在であり、例え人工であろうとその人格を、生きようとする命を無下に奪うことは出来ないと思うんですよね。相互理解とまでは行かなくとも、互いの利潤のもとに成立する対等な権利・主張をもった、共存の関係が今後の作品展開として予想できます。
マシンに命を吹き込むことは、やはりタブーなのかもしれません。生命を作り出すのは神の領域ですからね。人間風情が踏みこんではいけないところですよね。

2010年7月2日金曜日

ししゃも補完計画

また、ししゃもを買ってしまいました。110円で4尾はおいしい買い物ではないでしょうか。しかも子持ち。魚卵好きの私には何ともたまりません。もし「売店にいつもししゃもが置いて無い」と言う人がいたとしたら、それは私のせいかもしれません。先に謝っておきたいと思います。
そういえば、昨夜のアメトーークはトリオ芸人だったんですけど、芸歴28年のダチョウ倶楽部はやはりプロだと思いました。私は正直、上島竜兵やリーダーはかっていましたが、寺門ジモンのことを大した必要のない感じに思ってました。でも三本の矢の例えじゃないですけど、三人いることでギャグも何十にも輝くことが今回よくわかりましたね。説明するのは難しいんですけど二人よりも迫力が増すんですよ。あまりダチョウが三人で出る機会は最近少ないですが、もし揃ってテレビに出た際は、寺門ジモンにちょっと眼差しを向けてみてほしいと思います。出来るだけ暖かい目で。

2010年7月1日木曜日

キムチについて

いつだったかテレビで見たんですけど、元々キムチは赤くなかったんですって。
韓国に唐辛子が伝わったのは、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、武器や防寒の目的で持ち込んだのが最初と言われています。

たまたまそういう話をしていたら、寝耳に水の反応をされたので私の十八番であるウィキペディアに助け船を出してもらいました。やはり秀吉軍が唐辛子を持ち込んだ説が有力なものの、江戸時代に朝鮮特使が国へ持ち帰ったという説もあるそうで一概に結論は出せませんが、日本からもたらされたのは明らかです。
1900年頃の韓国料理に関する文献を見ても、キムチには刻んだ唐辛子を少々加えただけで、現在の唐辛子の粉末を用いた赤いものはまだ登場してないみたいですね。なので、赤いキムチは20世紀半ばにはじめてお目見えすることになります。韓国南部は暖かくて唐辛子の栽培に向いていること、また海の幸にも恵まれているのでオキアミなど海産物の塩辛を用いた、旨みと酸味のある赤キムチが誕生したものと推察できます。
ちなみに韓国北部のキムチは汁気が多く、汁ごといただくのが一般的らしいです。

つまり、赤いキムチは歴史的に浅いのです。
それと意外なことがわかったのですが本場韓国では、キムチの若者離れが最近目立つらしくて、子供の嫌いな食べ物ワースト1,2なんですって。韓国=キムチはもう過去の話なんですね。ただ韓国でも郷土の料理を食べさせようと甘口の子供キムチや、離乳食用に辛みを抜いたペースト状のキムチを作ったり努力しているようです。
キムチだけでこんなに書いてしまって恐縮です。最後までお付き合いくださってありがとうございます笑。