長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年7月23日金曜日

少し整理がついたので…

もう何日も空けるわけにはいかないので、今日から始動したいと思います。
実は暗い話だからとブログでは避けてきたことがあります。かねてから父は肺がんを患い、入院していたのですが、20日に容態が急変し母が泊まり込みで看病することになりました。日が空けて21日の朝には口が全く聞けず昏睡状態に陥り「もう午後までもつかどうか」と言われました。そして、14時頃、静かに息を引き取りました。75歳でした。
お医者さんは元々肺がんと睨んでいたのですが、検査の結果正式に診断されたのは2か月前。しかし、高齢のため手術や強い抗がん剤は使えず、がんが広範囲のため放射線治療も望めず、経過を見守るほかない様な状況でした。その後しばらくして急に父の様子に異変が生じます。足がガクガク震えて立てなくなり手助けがないと起き上がることさえ出来なくなりました。
もちろん入院したわけですが、意識も混濁していたみたいで自分が入院したこともわからなかったそうです。リハビリをするもつかまり立ちで歩くのが精一杯でした。母は歩けるまでに回復したら家に連れて帰って、がんが悪化するまでの間、介護保険をつかって面倒を見るつもりでした。お医者さんも明言はしないまでも言葉の端々からシグナルは出していたんですよね。「今のうちに会いたい人がいたら会っておいた方がいい」、札幌のホスピスを紹介するとも言われました。父の様子も全然歩けるようにならず、認知症のような言動もあり、ほとんど口も聞かなくなりました。それらを私なりに総合的に考えてもう長くはないのかなと半分覚悟していましたが、こうも急とは思いませんでした。
死に目にも会えず、感動的なエピソードも父からの最期のメッセージもなく、父は煙が消えるようにスッと逝ってしまいました。肺がん特有の苦しさもなく草木が朽ちていくように逝ったことだけが家族の唯一の救いです。告別式も終わり、従姉妹が送ってくれた仏壇と父の遺影を写したメールを見たとき、もう父は旅立ったんだなとひとつ心に区切りが付いた感じがしました。
父は怒りっぽくてわがままで、人様に語るような名言は残してくれませんでしたが、父の足跡と大きな背中を思い出し、その断片を寄せ集めて、父という偉大な存在を私の胸に刻みたいと思います。
長々とブログに付き合ってくださりありがとうございました。

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