長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2011年4月2日土曜日

真理を求めて

先日、尾崎豊が社会そのものへの憂いを歌っていると話しましたが、尾崎はさらにその奥の真理を求め続けていたんじゃないかと思うんですよね。人は何のために生きているのか。単純だからこそすぐに答えのでない永遠のテーマに、等身大の自分で正面からぶつかっていったのが尾崎でした。
でも、遙か異国に身を投じても、自分を地のどん底においやっても、そのドアはなかなか開けられなかった。「僕が僕であるために勝ち続けなきゃいけない」その意識が、皮肉にも尾崎を傷つけボロボロにし、生き急がせてしまったんじゃないでしょうか。
ドラマの最後で尾崎は「ドアの向こうには何もなかった」と言いました。私も恥ずかしながら生きる意味を必死に探している時期があって、自分を極限までいじめ抜いてきた口ですが、もがきにもがき続けて暗闇の中のドアを開けたら、私の場合は「人」がいました。家族がいました。この世の悩みの種のほとんどが人と人との関係から生じることだというのに、結局「人」にたどり着くとは皮肉な話ですが、自分一人で生きていける人は誰もいないわけで、つまりは、あらゆる道を進んでも行き着く先に人がいなければ、独りよがりの虚しいものに終わってしまうんだと気づかされました。
尾崎の答えは「何も無かった」ですが、彼は開ける前からすでに答えが出ていたんじゃないしょうか。共感の名の下に沢山の仲間やファンに囲まれ、今も尚、彼を慕う人は後を絶ちません。スターならではの答えだと思います。
皆さんの、暗闇の奥のドアには、どんな答えがありますでしょうか。

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