長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2009年5月7日木曜日

一患者ピリオ

「患者」という言葉について話になったことがあります。
その言葉を紐解けば、「わずらうもの」です。手術などで治る人に対しては、
一過的に患者と呼ばれるのはいたし方ありませんが、生涯病気と付き合い、
その上患者という言葉を背負っていくのはどうか?というのが話の中心です。
入院している人を指す言葉なら、入院者でいいんじゃないか。
患うという言葉を医療者がつかうのは、便宜上やむを得ないが、少なくとも
自分自身でつかい、身も心も患う者になる必要はないんじゃないかというの
で、その中ではまとまりました。
それから10年くらいは、患者という言葉に抵抗感を覚え入院者と極力言い
換えるようになりました。…では、今現在はどうなのか。
私は自分自身を「患者」と言っています。もうやめたのか? 一貫性がない?
そうではありません。上記の論議ありきで今の状況に至っており、10年前と
は気持ちが全然違います。うまく言えませんが弱者としての患者ではなく、
単に、医療提供者と受ける者との区別として捉えることが出来るようになっ
たからです。
話はズレますが、忍者と同じ様なものです。海外ではNINJAと称されます。
意味を紐解けば、暗殺者の意であるアサシンと呼ばれてもいいはずなのに
NINJAという一個として確立されている。まして忍びの者とかそういう訳し
方もされない。…「NINJA」なんですよね。
それとは違いますが、患者という言葉は私の中では「かんじゃ」との発音に
他ならないので、言わばKANJAでもいい訳です。
あの論議が無ければ、私は身も心も患った、辞書にある通りの「患者」を
名乗ったことでしょう。

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