長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2011年2月3日木曜日

公平とは

これは文句とかではないのですが、労働者と労働せずに収入を得ている私たちとを比較して「不公平だ」という議論がありまして、確かな反論に至らなかった私自身にいらだちを覚えています。私は、なるほどなと唸らせるような形で話を結びたいと思っていたのですが、悔しい気持ちが先走ってしまい、十分な理解は得られませんでした。

そもそも、この世の中に「公平」なことなどあり得るのでしょうか。そこを憂うのであれば、ハンディを背負った私など運命を呪い、世を呪い、人を呪い、何故だどうしてだと一生叫び続けていなければなりません。でもどんなに貧しくても、裕福でも、ハンディがあろうとも時間は刻々と刻まれていきます。開き直り、諦め、思い込み、すり替え、覚悟、決意、受容。とにかく色んなことを駆使して受け入れなければなりません。それに贅沢や裕福なことは罪ではないですからね。貧しい人がもし恵まれた環境にあったら、貧しい人たちの気持ちを考えて質素に暮らそうとは多分思わないでしょう。

その不公平感を少しでも和らげ、ある程度の基準までは救おうじゃないかというのが社会保障や福祉制度の考え方なのではないでしょうか。強者が弱者を救うという優しい気持ちは先人から受け継がれた、人間の素晴らしい財産だと思います。だから労働し納税の義務を果たしている人は社会の支えに成っていることを誇りとし、弱者を自分が救済しているんだくらいの気位をもって堂々としてほしいと思います。きっと、そこで個人に感情を向けてしまうから腹立たしく思うんですよ。働かないで年金をむさぼるエカピリオを助けているんじゃない、社会的弱者を救っているんだと気持ちを切り替えてほしいと思います。

けれども、その状況にあぐらをかこうとは思いません。我々の努力値が足りないのか、社会の受け皿がないのか、本来の意味で我々が労働することはもしかしたら叶わないかもしれない。でも労働できないから我々は社会の歯車になれないのかと言えば、そんなことはないと思います。私は社会貢献や人へ尽くすということでそれを果たしたいと思います。まずは少しでも長生きをして、人らしく笑顔で元気に暮らすことが、命の時間を与えてくれた医療スタッフへの一番の恩返しだと思っています。

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