長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2011年2月22日火曜日

視聴時間数十分

昨日、日本テレビで「たけしのIQ200~世界の天才が日本を救う~」という特番が組まれてましたね。よくわかりませんが、ハーバード大のサンデル教授という人が、哲学的なことを色々講義していました。

きちんと観ていなかったのですが、後半のほうで「5人の命と1人の命、どちらかしか救えないとしたらどうする?」という問いがされました。これは数字のみの比較なので、大半が1人の命より5人の命と答えました。

次に同じ条件で「5人の人が電車にひかれそうになっている。横に大男が立っていて彼の身を犠牲にすれば、助けること出来る」こういう問いに教授は変えました。人権が絡んできた場合に無下に判断しても良いのかという葛藤が生まれるわけです。

2つの問いを踏まえて、最終的に出された問いが「拉致被害者5人の命を救うため、相手国スパイを拷問にかけてもよいか」というものでした。石破議員と原田議員は政治家的な発想で、日本人を救うためなら、人道的かつ快復できる範囲の中でなら拷問も仕方ないだろうということでした。他のゲストは人権を重んじ、拉致した国と同じ人権を無視した行動をするのは日本の恥だと思うと答えました。私もはじめは後者の考え方でしたが、拉致被害者本人やの会の方達のことを想像するといたたまれなくなってきます。そもそも非人道的なやり方で日本人を拉致した連中ですし、スパイ行為自体が祖国のためと銘打って命がけの行動なわけですから、捕まれば拷問を受けることは覚悟の上のはずです。洗脳されていたりする可能性もありますが、スパイたる責任の取り方だとも私は思います。

この2つの考え方は、常に両極にある問題で一概にどちらが正しいとは言えないんだそうです。簡単に結論を出していたら人の生き死にも即決させることにもなりますからね。私も比較してよく考えることが大切なんじゃないかと思いました。自分の考えの何パーセントかは間違えているんじゃないか。その考えが人にブレーキをかけて、極端な道を強行しない抑止力になっているのかなとも思います。

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