長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年8月19日木曜日

手をこまねいてはいられない

今日はちょっと込み入った話になるかもしれません。
ゴーダマ・シッダールダ、いわゆるお釈迦様が、世に仏教を広めようと各地を転々としていたときの話です。やはり聞きもしない教えや経を持ち出すために周りには忌み嫌われ、石を投げつけられることもしばしばだったそうです。その局面をお釈迦様は一体どの様にして乗り越えたのか。人の道を説く以上は暴力など御法度。でも何もせずにいたら簡単に暴徒の手に下ってしまうかもしれない。お釈迦様は石を投げられたら、サッと身を交わし、暴徒の攻撃も刹那のようにかいくぐって、布教に努めたんだそうです。
石を避けるだけの一見なんてことはない行為に見えがちですが、いかなる場面においてもただ手をこまねいているのではなく、したたかに行動をし解決に努めよ、そんなことが教訓として得られるんじゃないでしょうか。

理不尽極まりない横行は、この世から切っても切り離せませんが、やはり勢力には立ち向かっていかねばなりません。少なくともここ日本では人として生きている以上、権利は平等に認められており、それは老若男女を問わず、身障者からホームレス、犯罪者にさえも認められた揺るぎないものです。怒りの鉄槌を弁舌巧みな言葉と替え、懐に携えた刀は行動力へと替え、震える心は勇気に替えて、権利を、人権を守らなければ一寸先には闇しかないような気がします。納税と債務以外の大概のことはNOと言える権利があるはずなんですよね。

最も素晴らしいことは、全ての人が他者を労り分かち合える世界です。それを心のどこかで期待して私は自分にブレーキをかけて踏み留めてきました。けれどもこちらが手を差し伸べてもその手をはたくのだったら、交渉決裂、手は引っ込めるしかないですよね。蜘蛛の糸だって、二度垂れることはありません。
取り留めのない話ですけど、どうせ散るなら咲き乱れたいものです。

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