長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年4月28日水曜日

おじいちゃんの形見

母方の祖父は、私が確か小学2年くらいのときに亡くなりましたが、私が家で留守番をしなければならないときに、家に来てご飯支度や身の回りの世話をしてくれる、器用で優しいおじいちゃんでした。
やはり年寄りということでほとんど寝てばかりいまして、余ったお金はあげるからタバコを買ってきなさい、と時々お使いを頼まれていました。

ある時、同じようにタバコを頼まれたのですが、その日はミクロマンのおまけ付きガムが欲しくて、余ったお金で買おうと決めていました。…ところが、あまりにも欲しい気持ちが強すぎたのか、本来の目的であるタバコの購入をすっかり忘れ、ガムだけを買って家路についてしまいました。家に帰ったときにはじめてその事実に気づきましたが後の祭り。でもおじいちゃんは怒りませんでした…。テレビの「はじめてのお使い」でさえ、紆余曲折を経ながらも目的をしっかり果たすというのに、我ながらお恥ずかしい限りです… あまりにも落ち着きがなく、よく周りをチョロチョロしていたことから、私は「チョロ松」と呼ばれていました。

そんなおじいちゃんとも、ついにお別れの時が来ました。でも、おじいちゃんが亡くなったとき、不思議と涙は出ませんでした。おじいちゃんと寝食を共にしていた孫兄弟、つまり私の従姉たちが号泣している様子をみて、小2でアンポンタンの私でも感覚だけは何となくではありますが感じ取れました。
数日後、私はおじいちゃんに買ってもらった、ジャンボ機のおもちゃを自慢げに親戚連中に見せつけ、「これはおじいちゃんの形見だよ」と言って笑われました。これが、おじいちゃんが遊んでた飛行機かい?って…
(*^_^*)形見という言葉をつかいたかったのと、亡くなった人との関連グッズを形見と言うんだと思っていたのです。

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