長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年5月25日火曜日

供養するということ

人にこんな話を聞いたことがあります。
先祖や親族の供養のために、仏壇とかお墓にお供えをしますよね。お供え物でも特に食べ物は、腐ったり虫がわいたりするので最終的にはお供えした人たちが食べることになるわけですが、供養とは文字通り「共に養う」と書きます。それは仏さんと供えた本人、両者のためであるとも解釈できるのです。
つまり何が言いたいのかというと、一見神仏にすがったり仏前で手を合わせたりする行為は、他力本願で自主性のないものに見えがちですが、私は行為を通じた自分自身との対話だと思うんですよね。今の自分は人に誇れるのか、間違えてはいないか。自問自答の中でこれからを見いだすというか…。
仏さんは思い出を語ってはくれますが、今を語る口はありません。生ある私たちが神仏の教えや、故人の生前の行いからヒントを得、活路を開いていくしかないのです。
私の夢枕に時折、亡くなった兄が立つことがあります。兄は十年以上経った今でさえ、何も話してはくれません。けれども何でも兄に頼ってばかりだった私は、もしも何か語ってくれたとしたらそれに甘えてしまい、悩んだり考えたりすることを止めてしまうような気がするんですよね。…兄は笑ってくれさえすれば十分です。
兄の姿に映し出された私という自分と向き合いながら、精進していくつもりです。

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