長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年9月4日土曜日

ただの器ではない

週刊少年ジャンプ連載中の「ナルト」は、忍者ものの漫画でワンピースの次ぐらいに人気があります。今日はナルトからの話です。
世界各地にある忍者の里では「尾獣」と呼ばれる強大な力を宿したエネルギー体?を人へ埋め込むことで、そのパワーを里の抑止力として政治利用しており、世界との均衡を保っています。主人公のうずまきナルトも生まれて間もなく「人柱」として身体に尾獣を埋め込まれた、運命の少年です。
前置きはこれぐらいにして本題ですけど、人柱に選ばれた人間は政治利用の観点からするとただの「器」であり、抑止力としての核弾頭を発射する台にしか過ぎないわけです。ナルトの母親も「器」になるためにナルトの父に嫁入りするのですが、そこで母は意味深いことを語ります。

「器の中に愛を入れる」

細かい描写は忘れましたが、ただの器になるという不運の人間になるよりも、里のため、人々のため、愛をもって自らの意思で運命に向かっていこう、そんな意味合いが込められています。これに私は共感を覚えました。
運命というものがすでに神様によって定められた決定事項だったとしても、私は生かされているのではない。境遇に卑下することなく、自らの意思で生きているのです。
ごくごく普通のことなんですけど、この世の中、自分が一番不幸だと思ってしまう現実が多々あるわけで、かくいう私も、胸を張れない部分もあります。だからこそ自分を奮起させるためにもあえて言いたいのです。不幸かどうかなんて、自分の決めようでしかないですから。
…当たり棒一つで大騒ぎする私ほど、幸せな人間はいませんけどね笑。

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