長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年9月30日木曜日

久々の…

妄想シリーズその3
※以下の内容は私の妄想でありフィクションです。話における団体、個人名などは実在しますが本人とは一切無関係ですのでご了承ください。

私は自宅へ帰省するため、従兄の運転する車で移動していました。いつもの道をいつものように。しかし、トンネルに差し掛かったところでその事故は発生しました。
それは、ほんの一瞬の出来事でした。トンネル内部で突如天井が崩落し、連鎖するかのように玉突き事故が次々起こる大惨事となったのです。私の乗る車は従兄の咄嗟のハンドルさばきでかろうじて大事故を免れ、私は軽くおでこから血が出る程度で済みました。しかし後続の車のほとんどが事故に巻き込まれ、車内で血だらけになっている人や、泣きじゃくる家族連れ、炎上してる車もありました。そして最悪なことに最後尾にはタンクローリーが横転し、火の手があがっているではありませんか。まさに内部の人々は袋の鼠。その上いつ爆発するやも知れぬ一触即発の緊縛した事態。古いトンネルなので避難もロクに出来そうもなく、空気も薄くなってきました。事故から辛くも抜き出た人たちは、とにかく集まって顔を見合わせるしか出来ませんでした。誰かが救助を要請しましたが、我々にとってその時間は無限にも永遠にも感じられました。これを地獄絵図と言わずして何と言えましょうか。そこで私は、とにかく何かをしなければと窓を開けてもらい、持てる限りの最大の声で、人々にこう叫びました。

「大丈夫です、必ず助かるからあきらめないでください!!」

心なしか場の空気が変わったかに感じましたが、今まで出したことのない大声を出したのと、トンネル内部の酸素が足りないためか人工呼吸器がうまく作用せず、意識がもうろうとしてきました…。
ハッと我に返ったとき、私は病院のベッドの中でした。居合わせた院長先生に「大丈夫か。もうダメだと思ってたんだぞ」と言われ、その時はじめて助かったことを実感しました。
あの大事故から2週間が過ぎ、私は何とか食事が摂れるまでに回復しました。ある日の午後、師長さんが部屋に訪れ「朝日新聞の人から取材の依頼が来てます。先生は10分だけならOKって言ってますよ。」と言うので訳も分からず取材を受けることにしました。すると記者は開口一番、「この度警察から表彰されるにあたって、あなたの率直な感想をお聞かせください」そう言いました。警察?表彰??付き添ってくれた師長さんが混乱する私を察して、「ピリオさんは事故の後、気を失って覚えてないだろうけど、救助を待つ人たちに勇気を与えてくれたってことで警察から表彰されるんだって。事前に言うべきだったね」記者が続けます。「何故最悪の状態で大丈夫だと確信を持てたんですか」まだ事態を呑み込めた訳ではありませんでしたが、質問にだけ答えることにし、「大丈夫と言ったのはハッタリです。ただ一番の弱者である私が強がったら、誰も弱音を吐けなくなると思って。みんな死ぬ寸前みたいな空気だったんです。」と言いました。
事故は崩落と玉突き衝突で5名の尊い命が犠牲となりましたが、人々の冷静な振る舞いが功を奏し、その後の救助は迅速に行えたんだそうです。災害時に於いて一番最悪なのは人々がパニックになってしまうことで、二次三次の事故にもつながるんだとか。それをたった一言とは言え、声をかけられたのはとても励みになったと、後から災害に遭った人からの手紙で知りました。こんな自分にも出来ることってあるんだなと、うれしさを噛みしめる私でした。おわり

…長々とくだらないものに付き合わせて、すいませんでした笑。

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