長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年10月1日金曜日

武勇伝…?

今日は後輩からインタビューを受けました。
中高生とおっさんという異色の組み合わせでしたが、入院生活の中でのアクシデントや当時取り組んでいたこと、どんなゲーム機器や入力機器を使っていたのかなど、ざっくばらんに話してきました。呼ばれるまま誘われるまま何の用意も持たずに臨んだので、果たして役に立ったのかどうか。まあ、たまには地井武男みたいにブラリ的なノープラン運行も一興ですね。

一昨日のザ・ミラクルという特番で1993年7月に発生した「北海道南西沖地震」の生還劇をやっていたんですが、奥尻島は津波により深刻なダメージを受け多くの尊い命が犠牲になりました。インタビューでもその話題に触れ、弱冠二十歳の私がどのように対峙したのかを話しました。
確かブログでも既出ですが、当時は八人部屋で成人者は私含め二人。他六人は小学生でした。地震が起きたのは夜の十時過ぎだったでしょうか。我々の住む道南地方も数分は揺れるほどのかつてない規模の大地震でした。中には死を覚悟した患者さんもいたんだとか。その気持ちはわかります。さて、私の部屋では子供達も次々と起き始め、口々に騒ぎ立てていました。「ピリオさん、こわいよー!!」と言い出す子も。当の私はというと、何も出来ませんでした。気持ちは「ウワーーーー!!!」でしたが、年長者の私が騒ぐのだけはまずいと心に決めていましたが揺れは更に続き、みんなを安心させることもできずに、じっと耐えるしか出来ませんでした。ただ諦める人たちとは違い私は助かる気満々でした。天井が崩落してもイイように、そーっとオーバーテーブルを動かして頭をしっかりガードしました。

…これはオフレコですが、その後も胸のドキドキは治まらず余震がどうしても気になり、遅くまでラジオから耳を離しませんでした。朝方までつけっぱなしだったかもしれません。…武勇伝を聞かせてと言われたのに、こんなヘタレでホント申し訳ない笑。

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