長年病院暮らしのエカピリオが、くだらない話をします。



筋ジストロフィー症、そこそこのお歳です。



※「ピリオ」命名:白黒音夢さん


2010年11月9日火曜日

昨日とは打って変わって

昨日、群馬県の小6女子の自殺について報じていました。いじめを苦に自ら命を絶ったとのことで、学校側はいじめの事実はあったとしているものの、自殺との直接的な因果関係は認めていないようです。
世の中から偏見や差別、いじめが消えることがないのは百も承知ですが、12年間しか人生を歩んでいない将来有望な子供が、死しか選択肢がなかったのかと思うと、死に追いやった児童もさることながらそんなことをさせてしまう現代社会に虚しさをおぼえますね。だれが悪いとかじゃなくて、亡くなった人のためにもどうしたら命を救えるか、いじめを無くせるかを考えたいです。
まず思うのは、学校側の教育に何かを求めるのではなく、親自身が子供の教育に責任を感じるべきだと思います。確か3歳くらいで人間の基本的な部分が形成されると聞いたことがあります。人間性というか。赤ちゃんの時の家庭でのきちんとした土壌があってこその教育だと思います。学校に行くようになると、どこか任せておけばいいという雰囲気になりがちですが、それもダメだと思うんですよね。うまくいえませんが、学校教育に口を出すんじゃなくて、親は積極的に感心を示してほしいんです。いじめられっ子目線だと、親が見ていてくれると思えば何ものよりも心強い存在になるし、信頼感もあるから何でも話せると思うんですよ。一方、いじめっ子の中には例えば優等生でいることに飽きてしまって、ある意味暇になっていじめに走ってしまう人もいると思うんです。親にもっと自分を見て欲しいアピールみたいなのもあると思うんですよね。親子の対話が一番大切だと思います。
学校を応援してるのか非難してるのかわからない発言をしますが、世は学校教育に何でも求めすぎだと思います。「学校は勉強をするためだけの場所じゃない」それはそうですが、友達の作り方を教えてもらうわけじゃないし、そんなことは自分でやることですよね。コミュニケーション作りだって自分自身。そこに先生は介入出来ないわけだし互いの関係がうまく行かないんだったら、一方が離れるしかないと思います。学校が体裁を気にするうちに児童はどんどん追い込まれて行きます。いっぱい学校があるんだから、合う合わないもあると思うので、雰囲気がいいと思う場所でのびのびやったほうが、勉強もはかどると思います。
…いじめられっ子目線ですかね?…ただ、人間関係は親が引き受けたとしても真骨頂である、勉強だけはバッチリ教えてあげてほしいと思います。

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